見上げれば、そのすべては自由なのだから  GOLD EXPERIENCE: 世界を旅する黄金体験
05≪ 2017| 12345678910111213141516171819202122232425262728293006/ ≫07
ネパールを旅する準備
これからネパールを旅するバックパッカーのために、旅の情報を簡単にまとめてみました。

Nepal62711-4.jpg
ネパールを訪れるなら、ヒマラヤトレッキングはオススメ。アンナプルナの日の出。

ネパールは観光開発が進んでいて、インドと比べると治安は格段に良いので、あまり気負う必要のない国です。また、ネパールはヒマラヤを中心とした登山やトレッキングなどが盛んなので、その場合は目的に応じた装備が必要になりますが、[通常の観光+トレッキング]程度であれば、長袖などの温度調節できるものを持って行けば問題ないと思います。

基本スタイルはインドと同様に、メインにバックパック、サブにショルダーバッグを持って行くと便利です。シューズは、モントレイルのような機動力のあるアウトドアスニーカーが一押しです。もちろんサブに歩きやすいスポーツサンダルなどがあるとベストです。


続きはこちらから
  ↓↓↓


>> ReadMore

2011'06'27(Mon)18:59 [ インド・ネパール TIPS ] CM0. TB0 . TOP ▲
生き神と呼ばれる少女たち
ネパールには、“クマリ”(Kumari)と呼ばれる少女の生き神をあがめる古い慣習が、今なお残っている。クマリとは、ネパールに住む女神クマリの化身のことで、ネパール語で 「処女」を意味する。密教女神ヴァジラ・デーヴィー、ヒンドゥー教の女神ドゥルガーが宿り、ネパール王国の守護神である女神タレジュの生まれ変わりとされている。

Kumari31011-2.jpg
ネパールの生き神、クマリ。ヒンズー教の女神 “タレジュ”(Taleju)の化身だと考えられている。

クマリには初潮前の幼い少女が選ばれるが、クマリが選ばれる条件は非常に多い。ネワール族の仏教徒の僧侶・金細工師カーストの “サキャ”(Shakya)の生まれの中から、身体的に怪我の跡や不自由な箇所がない、健康で美しく利発で、かつ国や国王との占星術における相性が良い少女が選ばれ、少女が初潮を迎えるまでクマリとして役割を果たす。

Kumari31011-3.jpg Kumari31011-1.jpg
クマリには幼い少女が選ばれる。(左)クマリの地位を剥奪された Sajani Shakya ちゃん。(右)

クマリは、ネパール国内の各地に多数存在している。最も有名なのがネパールの首都、カトマンドゥのダルバール広場に住む “ロイヤル・クマリ” で、ネパール国内の村や町に存在するその他のクマリは “ローカル・クマリ” と呼ばれている。ロイヤル・クマリは国の運命を占う予言者でもあり、人々の病気の治療、願望を叶える祈願をし、インドラ・ジャトラの祭りでは、山車に乗りカトマンドゥの町を巡り、人々の繁栄と成功の力を与えるという。

Kathmandu31011-16.jpg Kathmandu31011-17.jpg
カトマンドゥのダルバール広場の南側にあるクマリの館。レンガ調の立派な建物だが、窓は小さい。

選出されたロイヤル・クマリは、カトマンドゥのダルバール広場にある “クマリの館”(Kumari Bahal)で、侍従達に囲まれて暮らすことになる。特別な儀式以外には外出はせず、クマリの館の中で生活をし、学校に行く事も許されないため、勉強は館の中で行う。 観光客は受付で拝観料を支払うと、クマリの館上部にある小窓から顔を出すクマリを、数秒間拝顔できる。

Kathmandu31011-18.jpg
拝観料を支払うと、建物上部にある木彫りの小窓からクマリが姿を現す。

さて、幸運の象徴として、多くの人々の信仰を集めるクマリなのだが、その一方で、社会から断絶されたクマリの状況は幼児虐待や軟禁状態にあたるとして、クマリの慣習に物議を醸している。ネパール最高裁は、クマリの伝統が人権侵害にあたるか政府に対し調査を命じ、2008年に「クマリには教育、行動、食事の自由などが認められるべきである」という判決を出した。

また、2007年には、8年前間カトマンドゥ郊外のクマリを務めてきた10歳の少女、“Sajani Shakya” ちゃんが伝統に逆らい、アメリカのドキュメンタリー番組のプロモーションのため、6週間渡米したことが原因となり、クマリの地位を剥奪されるという事態に発展した。

クマリとしての務めを果たし、退任した後はどうなるのだろうか。クマリと結婚した男性は6ヶ月以内に吐血して死ぬと言われ、初潮を迎えクマリを退任した少女たちは幸福な人生を送れないと言われている。しかし、実際には多くのクマリが結婚して子供を授かり、幸せな人生を送っているのだそうだ。退任したクマリには、毎月7,500ルピーの恩給が支払われるという。

2008年、ネパールは長きに渡る王制を廃止し、ネパールの国号を “ネパール連邦民主共和国” に改めた。それに伴い、初の大統領が選出され、クマリも新たに選ばれたが、クマリという伝統文化が今後も残されていくのかについては、まだ議論の余地が残されているようだ。


参考記事: ネパールの生き神「クマリ」の少女、渡米で地位をはく奪 & Wikipedia


  




2011'04'05(Tue)19:50 [ インド・ネパール TIPS ] CM2. TB0 . TOP ▲
100年前のインド
100年前のインド”(India 100 Years Ago)の様子を写した写真を見つけたので紹介。

今から100年前の1910年頃、インドはイギリス統治下にあり、独立運動が激化し、イギリスは首都をカルカッタからトラブルの少ないデリーへと遷都(1911年)した時代。その頃日本は明治時代から大正時代(1912年大正元年)へと移り変わろうとしていた。

写真は、イギリスの旅行会社がインド旅行のツアー客向けに撮影したものなのだが、興味深いのは100年前のインドは現在と驚くほど変わっていないということ。もちろん厳密に言えば多々変化してはいるのだが、なんとなく根源的な雰囲気はそれほど変わっていないような気がする。インド、特に田舎を旅すると、今でも似たような光景を目にします。

photo: Scribd / FUNLOK

続きはこちらから
  ↓↓↓


>> ReadMore

2010'08'24(Tue)18:00 [ インド・ネパール TIPS ] CM0. TB0 . TOP ▲
チャイと過ごす日々
チャイ”(chai)は言わずと知れたインドの代表的な飲み物。インド文化に興味を持つ人なら誰もが聞いたことがあるだろうと思う。インドを旅すると、毎日のように口にするこの飲み物には、意外にも知られていないインドの文化や歴史が密接に関わっている。

今回はチャイに焦点を当ててみた。これを読めばチャイ通になれるかも?

kolkata61710-1.jpg
コルカタ、“サダル・ストリート”(Sudder St.)近くの路上のチャイ屋では少年が作っていた。

チャイは、“インド風ミルクティー” と言えば分かりやすいかもしれない。濃厚で、スパイスが効いていて、とても甘いミルクティーは一度飲んだら忘れられない独特の味。

そもそもインドで紅茶を飲む習慣は19世紀、英領インド時代にイギリス人が中国から持ち込んだと言われているので、長いインドの歴史の中ではチャイの歴史はそれほど古くはない。当時インドで栽培されていた紅茶の、良質な茶葉はすべてイギリスに送られ、インドには商品にならない “ダスト” と呼ばれる細かい埃のような茶葉だけが残された事により、その粗悪な茶葉を美味しく飲む方法として庶民が生みだしたのがきっかけとなった。

現在では、紅茶の茶葉は世界各地で生産されているが、その中でもインドは世界最大の紅茶の生産国で、スリランカや中国、ケニヤ、トルコ、インドネシアなどと並び、紅茶の茶葉の代表的な産地として知られている。特にインド北部で栽培されているアッサム・ティーの茶葉、“アッサム”(Assam)や、同じくインド北部で栽培されているダージリン・ティーの茶葉、 “ダージリン”(Darjeeling)は世界的に有名なのではないだろうか。

kolkata61710-2.jpg
人で賑わう夜のコルカタ。その喧噪の中にある、チャイの屋台。

チャイという名称は中国の “チャ”(茶)と同じ語源で、その名の通りお茶を意味している。世界的には、茶葉に香辛料を加えた “マサーラー・チャイ”(Masala Chai)、あるいは “マサーラー・ティー”(Masala Tea)などとも呼ばれている。マサーラーとは、香辛料を粉状にした物を混ぜ合わせたものを指す。ちなみにネパールやベンガルでは “チャー” と呼ぶ。ロシア語、ペルシア語、トルコ語でも茶を “チャイ” と呼んでいるようだ。

呼び名こそ違えど、インド周辺国でも愛されているチャイなのだが、インド国内では主に北方で好まれる傾向があり、南方ではインディアンコーヒーが好まれる傾向があるようだ。“インディアンコーヒー” は、チャイと同じくミルクと砂糖を多く使って少量のコーヒーを飲むスタイルで、ミルクたっぷりの甘いコーヒーは、チャイのコーヒー版とでも言うべきだろうか。

紅茶が熱湯に茶葉を入れて蒸らす(ティーパックも同様)のに対して、チャイは少量の水で紅茶を煮出し、大量のミルクとスパイス(ジンジャー、カルダモン、シナモン、ペッパー、クローブなど)を加えて更に煮出し、大量の砂糖で予め味付けをする、という独特の作り方をする。これはダストと呼ばれる粗悪な茶葉だからこそ生み出された方法で、熱湯で蒸らしただけではしっかりとした味が出せないため、このような方法になったのだと考えられる。

delhi61610-7.jpg
飲み終わると素焼きのカップを地面に叩きつけて割るという、インドならではの習慣が面白い。

インドでチャイが飲まれることになったきっかけや、ユニークな作り方は非常に興味深いのだが、チャイを入れる容器にもインドならではの習慣があるのだ。庶民が利用する街中のチャイ屋では、陶器製の素焼きのカップを使用していることがある。このカップは使い捨てで、客がチャイを飲んだら、カップを地面に叩きつけて割ってしまう。この習慣は、“カースト”(ヒンドゥー教の身分制度)と密接に関係していて、「異なるカースト間で同じカップを用いることはできない」という、浄不浄の観念がその原点になっている。

インドではごく当たり前の出来事も、僕たち外国人旅行者にとっては、インドならではのユニークな習慣に感じてしまう。しかし、最近ではプラスチック製や金属製のカップを使用する店も増え、素焼きのカップも叩き割らずにチャイ屋の店先に専用のゴミ箱が設置してあったりもする。特にレストランなどではチャイが素焼きのカップで出てくることはあまりない。

とまあ、チャイだけでもいろいろな話があるもので、すっかり長くなってしまいましたが、インドの庶民に愛されるチャイにはインドの文化や歴史が詰まっているんです。もしインドでチャイを飲むことがあったら、この話を思い出してみてください。

きっと100倍楽しめるはず!?


  




2010'06'17(Thu)18:40 [ インド・ネパール TIPS ] CM3. TB0 . TOP ▲
インドのモーターサイクル
ハーレー乗りの僕としては、インドのモーターサイクルに注目しないわけにはいきません!

「えっ、インドのバイクってどんなのだっけ?」という人、意外と多いのではないでしょうか。しかし、実は日本でも販売されているので、メーカー名を聞けば「あれか~!」と思い出す人もいるはずです。なかなかどうしてインドのバイク、かっこいいんですから。

Delhi60410-3.jpg
知る人ぞ知る、Royal Enfield Bullet はインド製。オールドデリーで見かけたコレはお気に入り。

インドのモーターサイクルと言えば、“Royal Enfield”(ロイヤル・エンフィールド)。インドではかなりのシェアを誇り、庶民はもちろん警察官までもが乗っているんです。

見ての通り、ヴィンテージのブリティッシュバイクを彷彿するデザインなので、一見インドのイメージとかけ離れているように感じるかもしれません。しかし、かつて英領であったインドには、今なお多くのイギリス文化が融けこみ、息づいているんです。

delhi60610-4.jpg delhi60610-5.jpg
デリー警察で採用されているのは、ボディが真っ白にペイントされた Royal Enfield Bullet 。

インドのバイクを語るなら、Royal Enfield 社のバイクというより、“Royal Enfield Bullet” (ロイヤル・エンフィールド・ブレット)というモデルに着目した方がいいかもしれない。

Royal Enfield Bullet は、イギリスを本拠地としていた Royal Enfield 社が、本国イギリスと、英領であったインドの2ヵ国で、1948~1962年まで製造(インドはライセンス生産)していたモデルで、当時は軍用としても採用されていました。

しかし、残念ながら1970年に本国イギリスの Royal Enfield 社は倒産してしまうのですが、奇跡的に “Royal Enfield India 社” が生き残り、Royal Enfield Bullet の製造は続けられました。

その後、Royal Enfield India 社は社名を Royal Enfield 社に改名し、インド、 “ティルヴォッティユール”(Tiruvottiyur)に本社を置き、現在に至っています。

varanasi60610-4.jpg
ヴァラナシの路地裏にて。インドのハーレーみたいな存在のバイク。

こちらは “ヴァラナシ”(Varanasi)の “ベンガリートラ”(Bengali Tola La.)界隈の路地裏で、オジサンがエンジンをかけている様子。脇で僕が見ているせいか、最初ちょっと照れくさそうだったけど、まんざらでもなさそう。インドの風土のせいで、砂埃にまみれて少々オールド感が出ているけど、そこがまた絶妙なカラーリングとマッチしていてかっこよかった。

Royal Enfield Bullet は、350ccと500ccの2タイプがあるようで、意外と排気量があるんです。そして、このエンジンがまたいい音出すんです。ボロンボロボロロロロ・・・ってかんじで。

kolkata60610-1.jpg
色は赤いけど、POLICEの文字が刻まれているから、警察車両なのかな。

こちらは “コルカタ”(Kolkata)の “パーク・ストリート”(Park St.)界隈にあった車両。見た目だけだと350ccなのか500ccなのかは分からない。加速などの性能面では日本製のバイクに比べるとはるかに遅いんだけど、交通事情が乱雑なインドだと、逆にそのくらいがちょうどいいかもしれない。無法なインドの交通状況で、加速のいいハイスペックなエンジンだと危険です。

さて、1940年代の構造・仕様そのままのバイクを生産することで、「新車でありながらもヴィンテージでもある」ということを最大の売り文句(ある意味逆手に取ったわけですが)にしてきた Royal Enfield Bullet 350/500 なのですが、2009年、世界中で急激に高まった環境問題に対応するため、大規模なモデルチェンジを行ったようです。

lonely planet” によると、「インドのオートバイによる長距離ツーリングの旅はとてもおもしろい」という記述があるので、今度はバイクで南インドでも旅してこようかな~、なんて思ったりしてます。もちろんその時は現地調達した Royal Enfield Bullet で。

なんか考えただけでワクワクしてきた。


  




2010'06'06(Sun)19:37 [ インド・ネパール TIPS ] CM0. TB0 . TOP ▲