見上げれば、そのすべては自由なのだから  GOLD EXPERIENCE: 世界を旅する黄金体験
05≪ 2017| 12345678910111213141516171819202122232425262728293006/ ≫07
さよならアーグラー
ヴァラナシ”(Varanasi)へと向かう鉄道の到着時間は夜11時30分。夜9時には行きに知り合ったリクシャーのドライバー(アーグラーの安宿記事参照)が、ホテル・カマルの前まで迎えに来てくれることになっていた。それまでの間、荷物を預かってもらえないかとホテル・カマルのオーナー、Sandeepさんにお願いしてみたところ、快くOKしてくれた。

時は流れて夜の9時。夜の帳が下りた暗闇の中ホテル・カマルの入口に向かうと、そこに彼の姿があった。人間というのは不思議なもので、見知らぬ人物でも二度目に出会うとなぜか親近感が湧いてしまう。「やあ」お互い笑顔で挨拶を交わした。オーナーのSandeepさん(一見強面なのだが、彼もなかなかの好人物だった)に別れの挨拶をし、行きと同じオートリクシャーにバックパックを乗せるとアーグラー駅に向かって走り始めた。

どこまで見れた?」と彼。行きにアーグラー観光の案内を申し出てくれた彼だ、アーグラーでの滞在中、僕が徒歩での移動でどこまで見れたか知りたかったのだろう。「タージ・マハルとアーグラー城は見れたけど、残念ながらファテープル・スィークリーは見れなかったよ」と言うと、やっぱりねと言わんばかりのちょっと得意げな顔をして見せた。「でもね、その分アーグラーの街をたくさん見て回ることができたよ」と僕は付け加えた。「もちろん遺跡も素晴らしいんだけど、僕にとってはアーグラーの街も、住んでいる人も、食べ物も、みんな素晴らしい見どころなのさ」そう言って彼にウインクして見せた。

それで、これからどうするんだい?」と彼。「うん、ヴァラナシへ行くよ」そう伝えると、しばらく彼は考え込んでいるようなそぶりを見せた。そして、いつもより少しシリアスな顔をして、「アーグラーからヴァラナシの鉄道の中では盗難に気を付けた方がいい」「食べ物に睡眠薬を入れるので、人からもらった食べ物を決して口にしないように注意して」とアドバイスしてくれた。僕は鉄道内での睡眠薬強盗の話は事前のリサーチで知っていた。しかし、彼の口から僕の身を案じてくれるセリフが出たのに驚いたと同時に、妙なうれしさを感じていた。「ありがとう、気を付けるよ」僕は気持ちを込めてお礼を言った。

リクシャーの中からアーグラー駅が見えてきたとき、彼はもう一度「気を付けて」と先ほどのアドバイスを繰り返した。リクシャーから下りるとき、僕は彼に対して妙な親近感を覚えていた。彼が目先の “お金” ではなく、僕の身を案じてくれたことがうれしかった。おそらく彼の方も同じような特別な感情を持ったに違いない。リクシャーから下りると、僕たちはお互い目を合わせてしっかりと握手をした。「ありがとう、いつかまた来るよ」そう言って別れた。

行きと帰りにたった2回乗っただけのリクシャー。おそらくお互いどこか波長があったのだろう、友情の始まりのような感覚があった。とっても変ではあるけれど。

Agra80510-18.jpg
アーグラー駅の Waiting Room。他の駅に比べれば、明るく清潔感がある。

さて、アーグラー駅に到着して、鉄道の到着を待つわけなのだが、ここでようやく “悪名高い” インドの鉄道の洗礼を受けることになる。鉄道の到着時刻である夜11時30分になっても僕が乗るヴァラナシ行きの鉄道はこなかった。それから30分、深夜0時を回っても一向に来る気配がない。仕方なく駅の “Waiting Room” で鉄道が到着するのを待つことにした。さすがに多くの観光客が訪れるアーグラー、駅の施設はなかなかきれいだ。

しかし、鉄道はそれからさらに1時間が過ぎても、2時間が過ぎても来なかった。インドでは、遅れた鉄道の情報は、駅に併設されている “Enquiry” の窓口でしか得られないことが多い。しかしその頼みの Enquiry も深夜や早朝には開いておらず、また仮に開いていたとしても、目的の便が遅れていることまでは分かるのだが、どのくらい遅れているかの正確なところまでは分からない。電光掲示板もあるにはあるのだが・・・ことごとく壊れていて、間違った表示をしているというオマケ付きだ。だから、遅れた鉄道を待つためには、ときどきホームに流れる鉄道の便名の放送を、決して聞き逃さないように、常に精神を集中している必要がある。

Agra80510-19.jpg
僕と同じ外国人の姿があるだけでも安心する。

簡単なことのように聞こえるかもしれないが、時刻は深夜2時。日中の疲れもあって、眠たくなる時間帯だ。しかも目的の便が到着する大まかな目安も分からない。10分後に来るかもしれないし、3時間後かもしれない。もしかしたら7時間後であることさえありえる。眠ってしまえば便名を聞き逃すのは間違いないし、高確率でバックパックは消えてしまうだろう。これはキツイ。

キツイはずなのに、その感情とは裏腹に、気付いたら笑っていた。いや、決して楽しくて笑っていたんじゃない、今自分自身が直面しているアホな状況に、あるいはインドの鉄道のアホさ加減にかもしれない。笑いが止まらなかった。そして、気を取り直して、そうだこんな時こそインドの歴史の勉強でもしてみようと思い直し、持ってきた “lonely planet” を開いて読み始めた。

Agra80510-20.jpg Agra80510-21.jpg
付け加えると、ホームに流れる便名の放送はとっても聞きづらい。ヒドスギ。

結局鉄道がホームにやってきたのは予定時間から8時間以上も後だった。とうの昔に朝になっていて、もうほとんどあきらめかけていた時、ようやくホームに便名の放送が流れた。

デリーからアーグラーまでせいぜい200㎞。一体どこをどうやったら前日の夜の便が次の日の朝まで遅れるのか、鉄道の職員に説明してもらいたい気分でいっぱいだったが、この国ではこれが日常茶飯事で当たり前の出来事なのだから、文句の言いようがない。インド人にとっては、さぞ「イイカンジに来た」のかもしれないが、日本だったら前代未聞のニュース間違いなしだ。

こうして、ようやく僕のヴァラナシへ向かう旅はスタートしたのだった。




2010'08'09(Mon)18:04 [ アーグラー ] CM0. TB0 . TOP ▲
スラムからの生還
夕方、アーグラーの居住区域を散策中に、スラムへと迷い込んでしまったのだが・・・。

Agra80510-2.jpg
壁一面にペイントされたPEPSIのロゴ。で、ホントはPEPSIって6ルピーなの?15ルピーくらいしてた。

編み目のように広がるアーグラーの居住区域の細路地を、道なりに奥へ奥へと歩いて行くと、徐々に周囲の風景が貧相になっていった。遊んでいる子供たちの声が聞こえなくなくなり、人通りも極端に少なくなっていた。建物は今にも崩れそうな小屋ばかり。明らかな周囲の雰囲気の変化に、こういうことには比較的楽観的な僕も、そろそろ潮時だなと感じていた。

アーグラーの治安はまずまずで、住人たちは素朴で温かみのある人が多いので、これまでは居住区域で多少貧しさを感じるエリアに立ち入ってもそれほど気にせず歩いていたのだが、僕が今歩いているエリアはこれまでとは何かが違う。自分自身がこのエリアで浮き立っているのをはっきりと認識できたし、なによりも子供たちの遊んでいる気配が全くない。

Agra80510-12.jpg
居住区域の細路地。笑顔がイイネ!ついでに奥の兄ちゃんも写ってます。

こんな時は来た道を引き返すしかない。しかし、来た道を戻ると言っても、道など覚えているはずもなかった。入り組んだ迷路のような居住区域の細路地では、道を記憶するのはなかなか難しく、いつもなんとなく方位を頼りに歩いていたからだ。戻らなきゃと思いつつも、歩いてきた道をそのまま戻るのではなく、前進しながら方向性を模索することにした。それがマズかったのか、どんどんスラムの奥へと足を踏み入れているような気がした。

幸いなのは、このエリアは雰囲気的に非常に貧相ではあるが、今のところ人の気配がないことだ。いや、幸いでもないか。人の気配がないのは逆に危険だ。

Agra80510-15.jpg
水浴びをする子供たち。結果的には、この辺りがスラム手前のギリギリの境界線だった。

細路地の先に小さな広場が見えてきた。広場の真ん中には井戸があって、おそらく近隣の住民が共用で使っている水場なのだろう。広場の先には小さな橋が架かっていたのだが、橋の上に若者が8~10人ほどたむろっていた。他に人気がないのが異様だった。

直感的に、「ああ、これはちとヤバイな」と感じた。その場で足をピタリと止め、くるりとUターンした。ところがまだ距離はあるものの、遠くからそれに気付いた若者たちが、なにやら大声で僕に叫んでいた。背後から何人かが「おい、戻って来いよ!」と叫ぶ声が聞こえた。もちろん戻るわけがない。足早にその場を立ち去ったが、追っては来なかった。

比較的治安のいいアーグラーでもスラムがあって、不用意に足を踏み入れると危険に遭遇する可能性がある。スラムには日々の生活すらままならない極貧層の人々が暮らしており、運が悪ければトラブルに巻き込まれてしまう。今回は、たまたま迷った末の出来事ではあったが、これまでインドを旅してきて初めて危機感を感じた瞬間だった。

Agra80510-16.jpg
夜になるとホテル・カマルの屋上レストランもライトアップされる。

それからどう歩いたかはよく覚えていないのだが、無事ホテル・カマルまで戻ってくることができた。屋上に行くと、運良くちょうどサンセットの時間帯で、空は紅く染まり、太陽が沈んでいく瞬間に立ち会うことができた。いくつかあるテーブルの1つでは、日本人の大学生らしきグループ(男性3人女性1人だったかな)がトランプをしていた。

やっぱりサンセットはいいなぁとしみじみ感じながら例の大学生グループのテーブルに目を向けると、彼らはサンセットなんて眼中にないかのようにトランプに没頭していた。ある種異様な光景ではある。さすがに周囲の視線が気になったのか、女の子が「ね~、サンセットだよ、見ようよ」と呼びかけたが、男性陣は全く興味がないようだった。

オイオイ、近頃の若いもんは・・・などとどっかのオッサンのように説教などするはずもなくサンセットを楽しみ、夕食を食べに行くことにしたのだった。まぁいろんな価値観があるからしょうがない。見たいものを見て食べたいものを食べるのが一番。

Agra80510-17.jpg
これがインドのパスタ。マカロニみたいにパスタが細切れになっているのが特徴的。

どこに食べに行くか悩んだんだけど、また来てしまった・・・ジョニーズ・プレイスに。短いアーグラーでの滞在で、なんだかんだで合計3回くらい足を運んだ気がする。これは僕の旅のスタイルではかなり珍しい。逆に言えばアーグラーではめぼしいレストランがあまりないことを意味しているのかもしれない。正直に言うと日中いつものカレーを食べてしまったので、できれば違うものが食べたかったというのがあっった。ホテルのすぐ近くで、かつリーズナブルに各国料理が食べられるジョニーズ・プレイスはとっても便利だったのである。

オーダーしたのはトマト & ガーリック・スパゲッティ。インドでパスタを食べたのはこれが初めて。普段イタリアンを食べ慣れている日本人にとっては、味は正直なところ微妙ではあるが、インドの、しかもアーグラーでパスタが食べられるのだから贅沢は言えない。いくらインドカレーが好きでも、さすがに毎食はつらいものがある。

だからパスタが太い割にコシがないとか、なんで細切れなんだとか、トマトソースがケチャップっぽいとか、言ってはいけないのだ・・・ここだけのヒミツということで。

アーグラーではスラムに迷い込み、すさんだ空気感に危機感を覚えたが、長いインドの旅の中で本当に危険な場所はここではなかった。それはまたのお話。




2010'08'07(Sat)22:17 [ アーグラー ] CM2. TB0 . TOP ▲
迷い込んだスラム
見知らぬ街を歩き回っていると、時として危険なエリアに足を踏み入れてしまうことがある。インド、アーグラーの街の治安は概ね良好なのだが、街である以上、当然のごとく僕たち外国人旅行者が足を踏み入れると危険なエリアも存在する。

スラム”(貧民街)と呼ばれるエリアは世界中の様々な都市に存在するが、貧困層が多くを占めるインドにおいては、住む家がなく、着る服さえままならない人々が生活している、言わば “極貧層” のエリア。気立てのいい人たちが多いアーグラーでも、そういったエリアに僕たち外国人旅行者が立ち入ることは、時に身を危険に晒すことになる。

今回はそんなアーグラーのスラムに迷い込んでしまったときの話なのですが、その前にしっかり腹ごしらえを。食事は旅の原動力です。

Agra80510-1.jpg
シャンティ・ロッジの屋上レストランでオーダーしたチキンカレー。カレーとコーラで115ルピー。

屋上からタージ・マハルが見られることで、ホテル・カマルと並んで人気のある安宿、シャンティ・ロッジの屋上レストランで昼食を食べてみた。

オーダーしたのはチキンカレー。テーブルに運ばれてきたのは、これぞ北インドの旅行者向けレストランの定番とも言えるスタイルのプレート。インドを旅するときに食べる、圧倒的大多数の食事がこんな感じのカレー。特筆してうまいというわけではないが、比較的どこで食べても味は安定している。ホテル・カマルの屋上レストランも同様のレベル。

Agra80510-4.jpg
ツアーなどのいわゆる観光客は、このエリアを歩くことが多いかもしれない。

時は変わって夕暮れ時、日中に比べると大分涼しくなってきたので、アーグラーの街を散策することにした。この辺りはタージ・マハル周辺の土産物屋が軒を連ねているエリアで、付近にはタージ・マハルを訪れる観光客向けの店が集まっている。

夕暮れ時ということもあり人通りは多くはないが、家族連れなどの典型的な外国人観光客の姿がちらほらと見られた。土産物に特化した通りなので、ショッピング目的ならいいが、逆に土産物の類に興味がなければそれほど楽しめる場所というわけでもない。

Agra80510-3.jpg
商店はたくさんあるが、興味がなければただの風景になってしまう。

僕はインド旅行中、ショッピングにはあまり意欲が向かなかった。もちろん旅で必要なものがあれば購入するのだが、どういうわけだか土産物にはあまり興味が持てなかった。それよりも、インドの刺激的で、適度な緊張感のある不思議な世界観に魅了されていて、街を歩いたり、通りを行き交う人々を観察するのが楽しかった。

個人的な感想だが、ショッピングならネパールやタイの方が面白いような気がする。インドも真剣に探せば、ユニークな商品と出会えるかもしれないが。

Agra80510-5.jpg Agra80510-6.jpg
道脇にはたくさんの馬車が。(左)もちろんノラ牛も。(右)

観光客向けの通りだけあって、道脇には馬車がたくさん駐まっていた。舗装された道はインドの道ではかなりきれいな方。道のど真ん中をのんびり歩いている牛の姿を見つけたので、追いかけてストーカーしてみた。牛の方もわざわざ自分を追いかけてくる風変わりな存在を意識しているようだった。牛って意外と足が速かったりします。

土産物屋の連なる通りを一回りしたら、いつものように居住区域へと向かって歩き始めた。

Agra80510-22.jpg Agra80510-8.jpg
ホントどこからともなく子供たちが湧いてくる。インドは子供でいっぱいです。

途中、やはりいつものように子供たちにからまれ、写真を撮りながら歩くことに。掲載している写真は子供たちがメインなのだが、実は彼らの両親(特に父親)を含めた家族写真も撮っていたりする。最初は子供たちを撮っているのだが、その後「お父さんも撮って~」ってせがまれたり、逆に両親の方からみんなを撮ってくれと頼まれたりというパターン。

後で撮影した写真を見比べると、子供たちだけの方がイイ顔だったりする。お父さんと撮ると、なんかちょっとかしこまった顔をしているんですよね~。不思議なことに。

Agra80510-10.jpg
建物のベランダから顔を出す子供たち。

で、時には上からも僕を呼ぶ声がする。兄弟や友達同士など、数人ずつのグループに分かれていて、そんな子供たちのグループが無数にあるので、ある程度コミュニケーションを取りながら何気なく歩いていると、ひっきりなしに子供たちと遭遇することになる。

特にアーグラーの人々の気質は温かみがあるので、ある種の親近感を覚えた。

Agra80510-13.jpg Agra80510-9.jpg
ふと見上げると、建物の上に猿の姿が。(左)ノラ犬や牛の毛並みで、その街の生活環境が分かる。(右)

さて、冒頭のスラムの話に戻ります。辺りは暗くなり始めた夕刻の時間帯。居住区域をどんどん進んでいくと、徐々に周囲の建物がみすぼらしくなっていきます。しかし、インドの街で多少のみすぼらしさはありふれた風景なので、特に気にすることなく歩いていました。

Agra80510-11.jpg
写真を撮りながら徐々に奥へと足を踏み入れて。

子供たちが笑顔で遊んでいる場所は、治安も安全だろうという考えもあって、それほど意識はしていなかったのですが、だんだん周囲のみすぼらしい雰囲気が無視できないほど貧相になっていったんです。どことなくピリピリとした緊張感が漂ってきました。

・・・無理矢理次回に続いてみる、ゴメン。




2010'08'06(Fri)10:50 [ アーグラー ] CM0. TB0 . TOP ▲
アーグラー城から眺めるタージ・マハル
ムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンが、タージ・マハルの完成後に幽閉されて過ごした城、“アーグラー城”(Agra Fort)。幽閉されたシャー・ジャハーンは、死去するまでの8年間もの間、ここアーグラー城からタージ・マハルの姿を毎日眺めて過ごしたという。

それから350年もの月日が流れ、そのアーグラー城からタージ・マハルを、あのシャー・ジャハーンと同じ景色を眺める、1人の名も無き外国人旅行者がいたのだった。

Agra73110-16.jpg
城というより城塞に近い、アーグラー城の外観。

アーグラー城は、同じ城でも西洋や日本の城とは随分趣が違う。いや、厳密には西洋と日本の城もまるで異なるわけなのだが、なんというかインドの城は、華美で優雅な「」のイメージではなく、どちらかというと重厚で無骨な「城塞」という趣なのだ。

その印象は間違ってはおらず、現在のアーグラー城は、実際に敷地の75%が軍の施設として使用されており、正に城塞そのものとして存在している。しかし、この城が築かれた1565年当時は、果たして人々の目にはどのように映っていたのだろうか。個人的には本来は墓であるはずのタージ・マハルの方がよっぽど城らしい佇まいに見えてしまう。

Agra73110-19.jpg Agra73110-20.jpg
外壁の内側も城塞のようなスパルタンな雰囲気ではあるのだが・・・。

アーグラー城はデリーからアーグラーへの遷都に伴い、当時の皇帝アクバルによって1573年に完成したのだが、もともとは軍事用に造られており、アクバルの孫であるシャー・ジャハーンによって白い大理石を使って増築され、宮殿に格上げされたという。タージ・マハルでも使用された白い大理石は、彼のお気に入りの建築材だったようだ。

そう見ると、外壁をはじめとする外観は非常に軍事的な雰囲気を放っているが、この城の内部に足を踏み入れると、ガラリと雰囲気の違う場所が存在しているのもうなずける。

Agra73110-9.jpg Agra73110-10.jpg
内部には庭園の区画があって、ここだけ優雅さが漂っている。

内部の区画には、白い大理石がふんだんに使われた庭園がある。この白い大理石を使った区画こそ、宮殿として使用すべく、後にシャー・ジャハーンが増築した部分に違いない。この庭園には、外観からは想像できないような優雅さが漂っている。

この庭園は、以前デリーで見た “ラール・キラー”(Red Fort)と呼ばれる、シャー・ジャハーンが築いたデリー城と、テイスト的にどこか共通するものがある。

Agra73110-13.jpg
左側の白い大理石の一角は明らかに他と雰囲気が異なる。

アーグラー城から下に流れるヤムナー河を眺めてみた。人為的にではあるが、高台になっていて非常に見晴らしがいい。訪れたのが乾季(3月中旬頃)のせいか、ヤムナー河の川幅は狭く、ヤムナー河までかなりの距離があるように感じる。河の周囲はまばらに草が生い茂った荒れ地になっていて、雨季の時期に川幅が膨れあがるのが想像できる。

写真左の白い大理石が使われている柱の一角も、シャー・ジャハーンが増築したものなのだろうか。この部分だけ彫刻が施され、城の基部の雰囲気と一風異なっている。

Agra73110-11.jpg
蜃気楼のように浮かび上がるタージ・マハルのシルエット。

さて、視線を東側へと向けると・・・遙か彼方にまるで蜃気楼のように浮かび上がるタージ・マハルのシルエットが。これこそが350年にも及ぶ長い年月の中で、今も変わらずそこに在り続ける風景、あのシャー・ジャハーンが眺めて過ごした風景なのではなかろうか。

写真は28㎜なので、やや遠くに見えるが、少しズームしてみると・・・。

Agra73110-18.jpg
しかし、墓と言うよりは、どう見ても城に見えてしまう。

これが “アーグラー城から眺めたタージマハル” の姿。もしヤムナー河にもっと水があったなら、まるで水面に浮かんでいるかのような錯覚を覚えたに違いない。世界的に有名なフランスの修道院、“モン・サン=ミシェル”(Mont Saint-Michel)を彷彿しなくもない。

雨季でヤムナー河が増水した時期にはどんな風景になっているのだろうか。

Agra73110-14.jpg Agra73110-15.jpg
床も壁も柱も、一面白大理石の区画。(左)強烈なインドの太陽にヘロヘロ。(右)

シャー・ジャハーンが増築したと思われる、白大理石の区画。アーグラー城の基部になっている赤砂岩の区画とは明らかにテイストが違うのだが、インドの照りつける強烈な陽射しの下では、その優雅さを味わう前に思わず日陰で一休みしたくなってしまう。

お城の中にいてすらインドで生きるというのはなかなか大変そうだなと感じるのだから、当時の庶民の暮らしはさぞ苛酷なものだったに違いない。

Agra73110-17.jpg
幽閉されたシャー・ジャハーンが見たタージ・マハルはこんな格子越しだったのかもしれない。

しばらく日陰で一休みし、重い腰をゆっくりと上げ立ち上がった。そして、改めて格子越しに見えるタージ・マハルの姿を確認し、再び歩き始めた。

長い歴史の中で、世界は大きく変化していく。それでも人の歩みは留まることを知らない。だが、ここには今も変わらぬ風景が残されている。この場所に佇んでいると、かつての皇帝のヒューマンドラマの、ほんの一瞬を共有できたような気がして、少しうれしくなった。

なぜなら、僕は今時を超え、同じ空を見ているのだから。




2010'08'03(Tue)18:01 [ アーグラー ] CM0. TB0 . TOP ▲
ヤムナー河に沿ってアーグラー城へ
アーグラーでは、タージ・マハルに次いで人気のある観光ポイントが、“アーグラー城”(Agra Fort)と呼ばれるムガル帝国時代の城。タージ・マハルからヤムナー河沿いに2㎞ほど上流に位置し、タージ・マハルからなら徒歩で向かうことができます。

Agra73110-2.jpg Agra73110-1.jpg
タージ・マハル周辺ではラクダの姿をよく見かける。(左)まだ幼い少年がドライバー!?(右)

アーグラー城まで歩いて行くことは可能だが、ヤムナー河沿いとはいえ特に見どころのない平坦な道のりなので、2㎞とはいえ体感的には意外と距離感を感じるかもしれない。僕は基本徒歩派なので、もちろん歩いて行きました。日中の刺すような陽差しが心地良い・・・はずがなく、ミネラルウォーターのボトルを片手に、汗だくになりながら歩きました。

インドでは1リットルのミネラルウォーターのボトルを手放すことができず、時にはなかなか水を入手できない場所もあるので、常に水の管理をしながら移動します。

タージ・マハル周辺では、ここぞとばかりにリクシャーやラクダのドライバーが勧誘にくるので、ここは利用してもいいかもしれない。そんな道のりではあります。

Agra73110-3.jpg
道端でスイカを売る少年。それにしてもたくさんあるな・・・。

途中、量り売りをしているスイカ売りの少年がいたので、「暑いね~」って声をかけたら、ニッコリ。こんな時は徒歩のいいところ。大量のスイカが山積みになっていて、ここまで運んでくるのも大変そうなのだが、店じまいの時はどうするのだろうか。

僕はスイカが大好き。残念ながらタイミング的にインドではスイカを食べる機会がなかったが、インドのような暑い場所だとスイカって最高なフルーツのような気がする。

Agra73110-4.jpg Agra73110-5.jpg
塀の向こう側に広がる、河沿いの風景。(左)前方にアーグラー城の城壁が見えてきた。(右)

地図上で見ると、この道はヤムナー河沿いになるのだが、残念ながら河沿いの情緒はあまりない、やや殺風景な舗装された道が淡々と続いている。河側の塀の向こうを覗いてみると、手前は荒れ地になっており、河の近くには草が生い茂っているようだ。通りから河までかなりの距離があるため、あまり河沿いの雰囲気がないのだろう。

地図上ではせいぜい2㎞程度だったのに、想像以上に距離があるな~と思っていたら、前方に真っ赤なアーグラー城の城壁が見えてきた。ムガル帝国時代のインドの城は、建材に赤砂岩を使っているので、レンガのような赤い色合いの建築物が多いのだが、アーグラー城も例にもれず赤い。雰囲気的にはデリーのレッドキラーとよく似ている。

Agra73110-7.jpg Agra73110-6.jpg
重厚な赤い城壁が続いている。(左)アーグラー城正面の入場口、デリー門。(右)

ようやくアーグラー城の入口、デリー門までやってきました。チケットの売り場前から大行列だったタージ・マハルに比べれば、観光客はやや人は少ないですが、それでも入場口はそこそこ混み合っていました。タージ・マハルが外国人観光客が多かったのに対し、アーグラー城はインド人観光客が大半を占めていたような気がする。

僕は最初、外国人用のチケット窓口ではなく、インド人用の窓口に並んでいたのですが、さすがはインド人、混み合った状況ではマナーなどないと言わんばかりに割り込みしまくりでした。で、間違ったところに並んでいたのに気付いて、外国人用のチケット窓口へ。

Agra73110-8.jpg
重厚な城塞を思わせる、インドの城の外観。

さて、アーグラー城へとやってきた僕なのですが、前日にレストランでたまたま相席になった韓国人のサンジェ君から、このアーグラー城の写真や情報をもらっていて、楽しみにしていたことがあります。それはアーグラー城から見る眺望です。

アーグラー城と言えば、タージ・マハルを建造したムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンが、タージ・マハルの完成後に息子のアウラングゼーブに幽閉されてしまったというあの場所です。幽閉されたシャー・ジャハーンは、タージ・マハルを毎日眺めては涙を流して過ごしたと伝えられていることからも、この城からタージ・マハルを眺めることができることが想像できます。

あのシャー・ジャハーンも見た、アーグラー城から望むタージ・マハルとは、一体どのような景色なのでしょうか。もちろん次回に続いちゃいます




2010'07'31(Sat)21:05 [ アーグラー ] CM0. TB0 . TOP ▲