見上げれば、そのすべては自由なのだから  GOLD EXPERIENCE: 世界を旅する黄金体験
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激闘!? ヴァラナシ駅
インド、ヴァラナシから新たな旅が始まる。

次の目的地は “ブッダ・ガヤー”(Buddha Gaya)。ヴァラナシをヒンドゥ教最大の聖地と表現するのであれば、ブッダ・ガヤーは仏教最高の聖地と言うことができる。ブッダ・ガヤーはその昔、ブッダがこの地の菩提樹の下で悟りを得た場所だと言われている。

日本は仏教に大きな影響を受けている国で、祭事や冠婚葬祭など、知らず知らずの間に仏教の慣習が生活基盤となっているが、僕自身はとりたてて敬虔な仏教徒というわけでもなく、これまでインドに数多く点在する仏教の聖地や仏跡にはそれほど特別な関心を持たなかったが(あまりにも数が多いというのも理由の一つ)、ブッダガヤーには妙に惹き付けられるものがあった。いったいブッダはどのような場所で悟りを得たというのだろうか。

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苦労しながらも深夜のヴァラナシ駅に到着。

なにはともあれ、まずはブッダ・ガヤーに到着しなければ話は進まない。ブッダ・ガヤーはこれまでとは違い、都市と表現するよりは村と表現するほうがしっくりくるような小さな田舎町で、それ故にこれまでと比べると交通のアクセスがあまりよくない。鉄道で直接ブッダ・ガヤーへと行くことはできず、まずは最寄り駅であるガヤー駅へと向かい、そこから2㎞ほど先にある乗合タクシー乗り場を経由し、リクシャーなどを乗り継いで、ブッダ・ガヤーへと向かうのである。

ヴァラナシからガヤーへと向かう鉄道は早朝5:40amの便で、ホテルからヴァラナシ駅まではリクシャーを利用しなければならないため、随分早い時間帯にホテルの部屋を後にした。まだ夜中3時頃だろうか、ホテルはすっかり寝静まっていて、エントランスの鉄の扉を開けるのさえ一苦労だった。かわいそうだが、エントランス前の床で眠るホテルのスタッフをたたき起こし、目覚めの悪い不機嫌そうな彼に催促してようやく重たい鉄の扉は開いたのだった。

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ヴァラナシ駅の構内には鉄道の発着を待つ人々でいっぱいだった。日本では考えられない光景だ。

ホテルを出発して、真っ暗闇の細路地の中、足下のトラップに最大限の注意を払いながら足早に移動し、目抜き通りのダシャーシュワメード・ロードへと出てみたものの、日中の喧噪はどこに行ったのやら、その面影すらない静寂した無人の光景に、しばし立ち尽くしてしまった。この場所で、なんとか駅まで向かうリクシャーを見つけなくてはならない。

通りをよく見ると停車しているリクシャーの中で眠っているドライバーの姿があった。さっそく近づいて彼に呼びかけてみるが反応がない。なんとしても起きてもらわないと困るので、懸命に揺り動かしたが起きる気配もない。仕方なく近くに停まっている別のリクシャーへ。

先ほどと同じように声をかけてみるがやはり反応がないので揺り動かしていると、今度は深い眠りから重たい目を開けてくれた。「寝てるところすまないけど、ヴァラナシ駅まで行ってくれないか?」と言うと、とってもしんどそうな目で僕を睨む。「君しかいないんだ、頼むよ、運賃はずむからさ」そう伝えると、彼はしぶしぶリクシャーのエンジンを回した。

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駅のホームに牛が!? 前方からノッシノッシと歩いてくる牛の姿が。

程なくヴァラナシ駅に到着し、駅の構内に1歩足を踏み入れると、そこは異様な光景だった。鉄道の発着を待つ人々が一様に床で寝ていて、足の踏み場もないほどだった。しかし長らくインドを旅してきて、今さらこんなことに驚いてはいられない。床に寝る人々の隙間を縫うように歩き、なんとかホームまでたどり着いた。問題はここからだ。

時計を見ると僕の便が到着する5:40amまでまだ30分ほどある。しかし、これまでの経験から、鉄道が予定時刻に到着した試しがない。今回は一体何時間遅れるのだろうか。アーグラーの時と同じ7時間?10時間以上遅れたなどという話も聞いたことがある。でももしかしたら・・・定時に到着するかもなどという淡い期待をほんの少しだけ抱いていた。しかし、残念ながらその期待はものの見事にわずか1時間で打ち砕かれることになってしまった。

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ホームをノラ犬が走り回っているのはよく見かけたが、さすがに牛には笑ってしまった。

到着予定の時刻が過ぎ、当分は到着しないであろうことが十分予想できたので、しばらく駅の “Waiting Room” で仮眠を取ることにした。バックパックからムラ染めの大きな布を取り出し、それをマントのように羽織り、自分とバックパックなどの荷物を覆うようにして目を閉じた。もちろん1人旅故に完全に熟睡するわけにはいかない。熟睡してしまうと、荷物に注意を払うことができなくなってしまう。目を閉じていながらもある程度の意識は残していた。

そうやって数時間が経過しただろうか。Waiting Roomから外に出ると、外はすっかり太陽が昇り、明るくなっていた。時折構内に流れる発着の放送は注意して聞いていたつもりだったが、もしかしたら聞き逃している可能性もある。そういえば、アーグラーの時は深夜だったが、この時間であればもう “Enquiry” (インフォメーション窓口)が開いているかもしれない。僕は駅の構内の外にあるEnquiryまで行ってみることにした。

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ヴァラナシ駅のホームには牛もいます。(左)線路にポイ捨てしたゴミを清掃する係員。(右)

Enquiryはすごいことになっていた。窓口の前はものすごい黒山の人だかりになっていた。皆我先にと他人を押しのけ、窓口に近づこうと必死の形相になっていたが、僕も自分の鉄道の便がどうなっているのか確かめなければならない。背中のバックパックが気にはなったが、そのまま人の群れに突入した。もみくちゃになりながらもようやく窓口に近づいたが、すこしでも窓口に近づくと、どけと言わんばかりにあからさまに押しのけようとしてくる。

しかし、僕には秘策があった。こうなるであろうことを想定し、予め “RHODIA” の単語帳くらいのサイズの小さなメモに便名を書き込んでおいたのだ。押しのけられながらもすかさず窓口のガラスにメモ帳を押しつけ、指差した。それを見た係員は 「その便は6時間以上遅れている」 と大まかな到着予定時刻の目安を教えてくれた。少なくともまだ到着していないことが分かってよかった。おそらく運が良かったのだろう、あるいは外国人旅行者であることを配慮してくれたのかもしれないが、混沌とした中、僕に教えてくれた係員に心から感謝した。

インドの移動は大変だ。広大なインドの国土を鉄道で移動できるのは非常に便利ではあるが、その反面、鉄道の遅延は凄まじく、予定通りに事が進まないことがほとんどだ。1人旅だと長時間の荷物の管理などもあり、なかなかハードだったりする。

果たして無事ブッダ・ガヤーへとたどり着けるのだろうか。




2010'09'21(Tue)20:38 [ ヴァラナシ ] CM0. TB0 . TOP ▲
ガンガー・クライマックス
インド、ヴァラナシのクライマックスは、最も印象に残った早朝のガンガーで締めくくりたいと思います。朝に夕にと幾度もボートに乗って、時には河沿いを歩いて、様々なガンガーの表情を見ることができたと思います。これまでの記事で様々な角度から何度も紹介しているガンガーなのですが、「ガンガーで始まりガンガーで終わる」流れでいきたいと思います。

さて、ヴァラナシ最後の早朝は、朝靄の淡い光の中からはじまります。

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とろけるような柔らかな光を放つ朝日が、ガンガーの対岸に昇りはじめる。

神秘的な朝靄といい、対岸の地平線といい、ガンガーの明け方の風景は何度見ても素晴らしいものでした。ボートからの何一つ障害物のないクリアな日の出も良かったですが、ガートから沐浴をする人々のシルエット越しに見る日の出も何とも言えない臨場感がありました。

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たくさんのツアー客の乗ったボートに隣接し、物を売るボート。

僕が利用したボートは貸し切りでずっと小型のものですが、ツアー客用に上の写真のような大きなボートもあります。大人数の場合はこんなのも楽しそうですね。貸し切りの場合は自由なルートで回れる利点もありますが、賑やかさには欠けます。1人で乗っているせいか、商売にならないと思ったのか、物売りのボートもほとんど近づいてきませんでした。

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活気溢れる、早朝のダシャーシュワメード・ガート周辺。

ボートから見たガンガーのメインビューはやはり中心地区であるダシャーシュワメード・ガート。混沌としたヴァラナシのイメージにベストマッチの風景ではないでしょうか。このガートはヴァラナシ観光の起点になっているので、滞在中は幾度となく訪れることになります。

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ボートを漕ぐサントスの兄貴。(左)商売に精を出す、物売りのボート。(右)

ガイドとして度々登場したサントスの兄貴なのですが、実は名前を失念してしまいまして、帰国した時はまだ覚えていたんだけどなぁ。確かパン・・・なんとかいう名前だったような。う~ん思い出せない、ゴメン。結果的にボートを漕いだのは当のサントスより断然回数が多いです。そしてかなりの問題児だったりもします。手抜きして漕がなかったりするし。

困ったもので、できれば誠実なサントスにお願いしたかったんだけど、どうもインドは弟の得た仕事を兄が取ってしまうようなことがよくあるようで、まぁ仕方がないのかな。

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まだ陽が昇る前だというのに、ガンガーにはこんなにボートが浮かんでいる。

こんなエピソードも。僕が利用していた貸し切りのボートは1時間で100ルピーなのですが、その日の早朝ガンガーをずっと上流へ上り、残り時間が半分を切ったので、そろそろ帰路についた方がいいとサントスの兄貴に伝えたのですが、問題ないと言うので任せていたんです。

残り時間が20分を切ってもボートはスローのままで、このままのペースだと時間内に戻れないよと言ったのですが、それでも大丈夫だと言ってゆっくり漕いでいました。残り時間が10分になってもちゃんと漕ごうとせず、時間内に戻れないのは構わないけどその分の料金は支払わないよと言ったのですが、むしろペースは落ちるばかり。結局ボート乗り場に到着したのは制限時間を10分程オーバーしてから。で、案の定彼は2時間分の200ルピーを請求してきたんです。わざと時間内に到着しないようにコントロールして、倍の料金を請求してきたわけです。

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ボートから朝陽に見入るインド人観光客。どことなく真剣な表情!?

もちろん再三忠告した後の出来事なので、支払うことはできないと言って、彼のボスに事情を説明したら最終的には事無きを得たのですが、こんなことが起きると正直あまり後味はよくなかったです。まぁこんな風に大なり小なりボートのガイドには当たり外れがあるようです。

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火葬が行われているハリシュチャンドラ・ガート脇で洗濯する人々。

以前の記事で紹介した火葬場のガート、“ハリシュチャンドラ・ガート” のすぐ下流でも、早朝から洗濯に励む人々の姿が。皆早朝から黙々と洗濯に精を出してます。ほんとインドにはいろんな人がいるから一概にこうと表現しにくいのだけど、街を歩いていて目に映るのは働き者のインド人の姿でした。暑く厳しい環境の中で、皆懸命に働いていた。

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空とガンガーと対岸の砂地帯が、光の加減で同系色に。

いつもこのブログを見て頂いている皆さんは、インドが、あるいはヴァラナシが、どのような世界観の場所か何となく分かって頂けたのではないでしょうか。また、インドを訪れたことのある方にとってはきっと懐かしい風景だったのではないかと思います。

インド滞在中、写真をたくさん撮り貯めた(4500枚以上も撮ってしまった)ので、ブログの記事の中ではほんの一部しか掲載できないのが非常に残念なところではありますが、できるだけいろいろな表情のヴァラナシを紹介していこうと思い記事にしてきました。

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陽が昇り、靄がすっきりと晴れ、空は澄み切った蒼に。街並みの鮮やかな色彩が映えます。

しかし、僕が記事の中で表現している世界は、ヴァラナシのほんの一部を切り取ったにすぎません。もし皆さんがいつかヴァラナシを訪れることがあるのであれば、また違ったヴァラナシを発見できるはずです。訪れた旅人の数だけ表情がある、それが旅の醍醐味です。

今後もまだまだインドの旅は続いていきます。そしてその先にはネパールも。この分だと相当先になってしまいそうですが。それにしてもインドだけでこれだけ書くことがあるというのは、きっとインドがそれだけ魅力的で深い世界観を持っているということ。今後もその魅力を、僕が体験したほんのわずかではありますが、紹介していきたいと思っています。




2010'09'20(Mon)00:08 [ ヴァラナシ ] CM0. TB0 . TOP ▲
再会
夕方、ガンガーを眺めながら、特に目的もなくガート沿いを歩いていた。ヴァラナシ滞在中は、ガート沿いをのんびり歩くのが日々の日課になっていた。

その日がいつもと違っていたのは、いよいよ僕のヴァラナシ滞在もあとわずかだということだけだ。厳密に言うと、今日が最後の夜になるだろうということだった。

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夕暮れ時のガートに座る人たち。絶景で時が経つのを忘れてしまう。

ヴァラナシには市街地区もあるし、ガンガーの手前に編み目のように広がる細路地には、外国人向けのレストランや商店など様々なお店がひしめき合っていて、そういったお店でくつろぐのも快適な時間ではあるのだが、何と言ってもここはガンガーあってのヴァラナシなのだ。

太陽が昇る前から太陽が沈んだ後まで、その時間の大半をガンガーを眺めて過ごした。

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ダシャーシュワメード・ガート近くのお供え物の花を売るお店。

日々同じような行動パターンで、よく飽きないなと呆れられてしまいそうだが、飽きなかった。もっと長期間、先日日本食レストランで知り合ったカップルのように、それこそ6ヶ月以上もヴァラナシで過ごしていたら、きっと飽き飽きしていたに違いないとは思うのだが、今のところ毎日新しい発見があって、1度として同じヴァラナシを見たことはなかった。インドの他都市であればまずないだろうと思えるくらい、同じ行動パターンの毎日が不思議と新鮮だった。

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ガートの階段で山羊に母乳を与える子供達。

ヴァラナシ最後の夜の日、夕方ホテルに戻ろうと河沿いのガートを歩いていると、ガートの階段にポツンと1人座る東洋人の姿があった。「あっ!?」どちらが先に声を出したのだろうか、目が合った瞬間、お互いすぐに気が付いた。そこにいたのはアーグラーのレストラン、“ジョニーズ・プレイス” でたまたま相席になり話をした韓国人のサンジェ君だった。

僕はすぐに「やあサンジェ、ものすごい偶然だね、まさか会えるとは思っていなかったよ!」「一体どうしていたんだい?」と声をかけた。「うん、実はまだヴァラナシに着いたばかりなんだ」「サルナートに立ち寄ってからこっちに来たんだけど」と彼。

サルナート”(Sarnath)はヴァラナシの北東10㎞に位置する、ブッダが悟りを開いた後初めて説法を説いたと言われる四大仏跡のひとつで、仏教徒にとっては重要な聖地だ。

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テラスレストランの高台から見下ろした、夕暮れ時のガンガーとガートの風景。

以前サンジェ君とアーグラーで話をしたとき、大まかにお互いのルートを教え合っていたので、僕がヴァラナシに滞在している間のどこかで彼がやってくるだろうことは予想していたのだが、正直言って再び会うことができるとは思っていなかった。

というのも、ヴァラナシは連日お祭りのような街で、ガンガー沿いはもちろん、市街も絶えず人で混み合い混沌としていて、ガート沿いもかなり広範囲に広がっているので、たとえ同じ街に滞在していてもなかなかうまく出会うのは難しかったりする。

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同じ画角から、夜の帳が降りはじめたガンガーとガートを。

しばらく2人でガートの階段に腰掛けて、あれからどうしていたのかなど、お互いのことをあれこれ2人で話していたのだが、陽が暮れて辺りがほの暗くなってきたので、僕は「サンジェ、せっかくだしもっとくつろげる場所で話をしないか?」と彼を誘った。

彼はまだヴァラナシに着いたばかりであまり道に詳しくないと言うので、とりあえずそこからすぐ近くにある、僕が宿泊しているホテル・アルカのテラスレストランで食事をしながら話をすることにした。とりたてて料理がうまいと言うわけではないが、メニューの種類も豊富だし、何より河沿いのビューは最高だ。彼のホテルもすぐ近くなのだそうだ。

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星こそ多くはないが、雲一つ無い澄み切った美しいグラデーションの夜空は今も心に残っている。

その晩はサンジェ君と夜遅くまで思いつくありとあらゆる話題を話した。家族のこと、日本のこと、韓国のこと。サンジェ君にはお姉さんがいて、先日結婚したのだそうで、写真を見せてくれた。先日入った日本食レストランで、韓国人の女の子が僕を見つめていたのが気になっていたので、「韓国人から見る日本人はどんなかんじ?」と聞いてみると、「ものすごくファッショナブルだ」とのこと。「逆に日本人は韓国人をどう思ってるの?」と聞いてくるので、「君たちはメンタルの芯が強くて、とてもエネルギッシュだ」と答えた。

実は僕は韓国人とはアメリカ留学時代に随分親しく付き合ったことがある。その中には韓国からの留学生だけでなく、在米2世もいたが、一緒に旅行したこともあるし、毎日のように学校や郊外のテニスコートに集まってはテニスをしていた。彼等はタフで、社交的で、たかがスクールテニスと言えども真剣に打ち込んでいた。僕も1つのことにのめり込むと夢中になってしまう性格なので、そんな彼等と自然と気が合ったのだろう。そのことを彼にも伝えた。

ふと見下ろすとガンガー沿いのネオンが、まるで無数の灯籠の灯火のように色とりどりの光りを放っていた。上を見上げると絶妙なパープルの色彩の澄み切った夜空に、三日月型の月が浮かんでいた。気が付くとすっかり夜遅くなっていた。僕が「随分遅くなってしまったね、割り勘でいいかい?」と聞くと、「今夜は僕が払うよ、いろいろ教えてもらったし」と彼。気を遣わないでいいよと言ったんだけど、なんだかんだで彼が支払ってくれた。

帰り際、「次はネパール、カトマンズで会えるといいね!」と言ってお互い握手をして別れた。彼はこの後ヴァラナシから陸路でネパールに入り、ポカラを経由してカトマンズを目指すのだそうで、僕もコルカタからカトマンズを目指す予定だ。サンジェ君は夜の帳が降りた街灯のない暗い細路地の中に消えていった。運が良ければまた彼と会えるに違いない。




2010'09'18(Sat)18:50 [ ヴァラナシ ] CM0. TB0 . TOP ▲
火葬場のガート
揚子法言” という古い中国の思想書に「始め有るものは必ず終わり有り」という有名な格言がある。言葉通りの意味で、物事には必ず始めと終わりとがあって、生あるものは必ず死に、栄えるものはいつか滅びるのだということを示唆している。

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日の出前に沐浴をする人々。水面に街灯の光が反射している。

ガンジス河のガートには、遺体を火葬する火葬場のガートがある。以前の記事でも記述したが、ヒンドゥ教では、ガンガーの近くで死んだ者は生と死の輪廻から解脱できると言われており、それ故に信者にとってこの地は理想的な死に場所とされている。

そのような事情もあってか、ヴァラナシは別名「大いなる火葬場」とも呼ばれており、この地にはインド中から遺体が運ばれてくる。12億にも及ぶインドの人口を考えると、毎日一体どれだけの遺体がここに運ばれて来るのか想像もつかない。

明け方、街灯がほの暗いガートを煌煌と照らす中、僕はいつものボート乗り場へと向かっていた。まだ太陽が昇る前だというのに、ガートには既に沐浴をする人たちの姿があった。

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沐浴する者、体を洗う者、水を汲む者。ガートでは様々な人々の人間模様が垣間見える。

今回のガイドはサントスの兄貴。連日利用していたので、すっかり顔馴染みになっていた。見たい場所がたくさんあった。特に火葬場のガートは、いつもより近くに寄って、間近で見てみたいと考えていた。彼に考えているルートを伝えると、すぐにボートは出発した。

ガンガーの河沿いには、“マニカルニカー・ガート”(Manikarnika Ghat)と “ハリシュチャンドラ・ガート”(Harishchandra Ghat)という2ヵ所の火葬場がある。特に有名なのは、中心に位置するダシャーシュワメード・ガートにほど近いマニカルニカー・ガートだろう。

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ガートには大量の薪が積み上げられ、火葬による煙が上がっている。

僕の乗ったボートは一路火葬場のあるマニカルニカー・ガートへと向かっていた。ボート乗り場のあるミール・ガートからマニカルニカー・ガートまではそれほど距離はないので、すぐにモクモクと白い煙を上げているマニカルニカー・ガートの姿が見えてきた。

マニカルニカーという名前は、“宝石の耳飾り” を意味し、その昔、ヴィシュヌ神が池のほとりで苦行に励んでいるとシヴァ神が現れ、どのような願い事も叶える約束をし、ヴィシュヌ神がシヴァ神のいるこの場所に永遠に住みたいと願うと、シヴァ神は歓喜にうちふるえ、耳飾りが池の中に落ちたという神話に由来しているのだそうだ。

ロンリープラネットによると、パールヴァティ神が落とした耳飾りをシヴァ神が掘り返したという、全く別の記述がなされているため、この神話には多説ありそうだ。

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火葬場には早朝からたくさんの人が集まっていた。神聖で緊張感のある場所だ。

ボートを漕いでいるサントスの兄貴は、もっと近くでマニカルニカー・ガートを見てみたいという僕の意向を組んで、川岸に隣接するように近づいていく。基本的に火葬場での写真撮影は禁止されているので、サントスの兄貴に「こんなに近づいて撮影しても大丈夫なのかい?」と聞いてみたら、「この距離なら問題ない、大丈夫だ」というので、シャッターを切った。

というのもマニカルニカー・ガートでは、高額な寄付や薪代を要求されたり、勝手にガイドをされるなど、観光客を巡るトラブルが頻発しているようで、中には写真撮影をして危険な目に遭ったという話も聞く。確かに自分の身内が目の前で焼かれているのに興味本位で撮影していく観光客に感情を害するのは無理もない。そこは日本でも同じだろうと思う。

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遺体を焼く燃えさかる炎。後ろには牛の姿も。(左)死者の魂を弔うために河に浮かべる花。(右)

遺体は男性は白、女性はオレンジの布に包まれ、まずシヴァ神を祀るターラケーシュワル寺院のリンガのそばに安置される。死者の耳にシヴァ神のターラカ・マントラ(救済の真言)を囁くことで、生前いかなる罪を犯した者でも解脱出来ると言われている。

火葬の前にはガンガーの水に浸される。その後遺体を薪の上に乗せ、喪主が火を付ける。荼毘に付された後の遺灰はガンガーへ流される。しかし、貧乏で薪代が払えない人、子供、妊婦、出家遊行者、蛇に噛まれて死んだ人は火葬せずにそのまま流されるという。子供と出家遊行者は石の重りを括り付けて川の深みに沈められるのだが、子供はまだ十分に人生を経験していないから、出家遊行者はすでに人生を超越しているからという理由なのだそうだ。

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途中のクシェーメーシュワル・ガートにて。水位が上がっても沐浴できるよう工夫されている。

さて、ボートはマニカルニカー・ガートから、もうひとつの火葬場があるハリシュチャンドラ・ガートへと向かった。ハリシュチャンドラ・ガートははるか上流に位置し、マニカルニカー・ガートからはかなり離れた場所にある。ヴァラナシのガートの中心エリアを挟み込むような形で上流と下流の両端に火葬場のガートが存在している格好になっている。

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もう1つの火葬場、ハリシュチャンドラ・ガート。マニカルニカー・ガートとは随分趣が異なる。

ハリシュチャンドラ・ガートはヴァラナシでは最古のガートのひとつで、マニカルニカー・ガートと同様に24時間火葬の煙が絶えることはない。2つの火葬場はドームという同じ一族が取り仕切っており、働く人々も共通であり、交代勤務で働いているのだそうだ。

ハリシュチャンドラ・ガートは、先程のマニカルニカー・ガートとは随分趣が異なる。マニカルニカー・ガートが公開火葬を行う伝統的なヴァラナシの火葬場をイメージするのに対し、こちらはどこかこざっぱりとした、かなり現代的な火葬場といった佇まいだ。

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少しズームしてみると、薪がきちんと整頓されて積み上げられているのが分かる。

周囲を見渡してもそれほどたくさんの人がいるわけではなく、どことなく落ち着いた雰囲気だ。屋内でシステマティックに火葬が行われているという印象を受けた。

ちなみに、ハリシュチャンドラ・ガートのすぐ近くには “ケダール・ガート”(Kadar Ghat)という霊場のガートがあり、南インドの巡礼者たちが沐浴や祖霊供養をしている。ここには、ヒマラヤ山麓にある “ケダールナート寺院” を勧請したガートと同名の寺院があり、南インドとの結びつきが強く、ベンガル人や南インド人に人気があるようだ。

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夜明け前の穏やかなガンガーの水面に、空の色が染まっていく。

ヒンドゥ教徒は墓を持たない。それ故に死者を火葬し、ガンガーへと流す風習は非常に重要な意味合いを持っている。そしてその代わり、命日などの祖霊供養は欠かさない。

彼等にとって、死は穢れであり、火が死者を天に昇らせる唯一の方法だと考えられており、生前の行いの結果(カルマ)により転生し、新たな生がもたらされるという。

僕を乗せたボートは、生と死が交差するガンガーをゆっくりと進み始めた。




2010'09'15(Wed)18:19 [ ヴァラナシ ] CM2. TB0 . TOP ▲
夕方のヴァラナシ郊外は大混雑
夕方、ヴァラナシ郊外を奥へ奥へと歩いてみた。郊外と言っても中心地区からせいぜい数㎞といった程度なので、郊外と称していいのかは分からないが、通常観光で歩くエリアではないので、また一味違ったヴァラナシの街を見ることができた。

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夕方のゴードウリヤー交差点付近はリクシャーや人でごった返していた。

ゴードウリヤー交差点”(Godowlia)にて、目抜き通りのダシャーシュワメード・ロードと交差している “ソナープラ・ロード”(Sonarpura Rd.)を左折し、ひたすら南に向かって歩いてみた。ソナープラ・ロードは、地図上で見るとガンジス河と平行して走っている大通りで、“バナーラス・ヒンドゥ大学”(Banaras Hindu University, BHU)とを結んでいる。

バナーラス・ヒンドゥー大学は、約1万人の生徒数を誇り、インドの民族文化を総合的に研究するために1916年に設立された国立大学で、キャンパス内にはビルラー寺院、インド美術館などが併設されている。地図上で見ると半円状の敷地は直径3~4㎞にも及び、驚くほど広大だ。

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日本で言えばラッシュアワーの時間帯で、通りを横切ることも容易ではないほどの大混雑。

同じヴァラナシでも、ガンジス河沿いの風景と、その手前に広がるヴァラナシ市街の風景とでは、随分と趣が異なる。神秘的で宗教色の強い河沿いのエリアに比べて、市街のエリアは都市を感じさせ、ヴァラナシの人々が日常的に生活する自然体の姿が垣間見える。また、都市の佇まいが西(正確には北西)のデリーや東(正確には南東)のコルカタと全く異なるというのも実に興味深い。インドは都市ごとに明確な個性を放っているから面白い。

ちなみにこのエリアの治安なのだが、僕が歩いた夕刻から夜にかけて(17:00~20:00位)の時間帯であれば、通りには街灯もあり、人通りは絶えないので問題はないだろうと思う。近隣に大学があるということもあって、若者の姿を多く見かけた。治安的には、どちらかというと開けた大通りよりも、街灯のない細路地の方がトラブルに遭遇しやすいと思う。

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Sonarpura Rd. の様子。大学があるせいか若者が多く、外国人旅行者の姿は見当たらない。

ソナープラ・ロードの先はイスラム教徒地区になっていてモスクがある。そのせいか、道行く人々の中には真っ白いイスラム装束を身に纏った人をよく見かけた。

しかし、道行く若者たちの大半は洋服を着用していて、デリーやコルカタのような都市部だけでなく、ここヴァラナシでも洋服へと移行しているのがよく分かる。男性はジーンズやスラックスにシャツ、女性も同様にジーンズなどのパンツにシャツやカットソーを合わせていた。

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道脇にあるスナック屋。夕方になると、どこからともなくコーランが流れてくる。

インドは「途上国」と表現すべきなのか、あるいは「新興国」と表現すべきなのか、定義を当てはめるのがなかなか難しい国だ。世界経済的には新興国と呼ぶべきなのだろうが、多くの人々には未だに途上国のイメージが根強く残っているのではないだろうか。実際にインドを旅してみると、新興国と途上国の両方の顔を併せ持っているのがよく分かる。

仮に韓国やタイを新興国と表現するのであれば、インドはまだまだ様々な部分で至らないところが多い。しかし、その一方で大陸を縦断する鉄道(遅れまくるが・・・)が配備され、携帯電話が復旧しているなど、あながち途上国と当てはめられない要素も大いにある。

そう言う意味では、インドは新興国と途上国の中間に位置している国なのかもしれない。様々な顔を持ち、一言では表現することができない不思議な国だ。

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何気ない通りではあるのだが、歩いていると様々な発見がある。

いつのまにか辺りは真っ暗になっていた。一体どのくらい歩いただろうか、最初の交差点付近に比べれば、幾分人通りは減ったものの、相変わらず行き交う人々は絶えることがない。

通りには様々な店が軒を連ねているのだが、コンビニやスーパー、ファーストフード店といった、日本であれば、街を構成するお馴染みのスタイルのお店の姿はなく、それでも映画館があったり、ケーキ屋があったりする。それはそれで一体どんなケーキを売っているのだろうとウインドウ越しに覗いてみたりして、興味がそそる。ピンクやグリーン、ブルーのビビッドな配色のケーキを見ると、なんとなくインドらしいなと妙に安心したり。

興味につられて途中脇道に入ったせいか道に迷ってしまい、近くを歩いていた大学生くらいのインド人の女の子に道を訪ねた。方向性が同じだったので途中まで話しながら一緒に歩いたのだが、柔らかい物腰で、ガート周辺エリアの人たちとは随分雰囲気が違うものだなと感じた。

デリーでも感じたのだが、僕が出会ったインドの大学生は皆知的で、ちょっぴりシャイで、僕たち外国人や文化に強い好奇心を持っており、非常にフレンドリーだったので、道を訪ねればきっと親切に教えてくれるだろうし、親しい友人になれる可能性を秘めていると思う。

何か大きな出来事があったわけではないが、たまには郊外を彷徨ってみるのも新鮮だ。




2010'09'13(Mon)19:04 [ ヴァラナシ ] CM0. TB0 . TOP ▲