見上げれば、そのすべては自由なのだから  GOLD EXPERIENCE: 世界を旅する黄金体験
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ラージダーニー・エクスプレス、いざコルカタへ
次なる目的地、“コルカタ”(Kolkata)は、広大なインドの国土の東端に位置しており、ガヤー駅から直線距離にして約460㎞と、まずまず距離は離れている。

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早朝のガヤー駅のホーム。明け方寝ていた人たちはどこへ行ったのやら。

大方の予想通り、4:00amに到着するはずのコルカタ行きの鉄道はこなかった。この頃には、インドの鉄道は予定時刻に到着するはずがない、という確信に満ちた結論に達していた。だが、予定時刻に到着しないのはまだいいが、毎回決まって7時間以上も遅れるというのは如何なるものか、さすがに理解に苦しむ。どこか意図的にやっているとしか思えないのだ。

鉄道が到着するのを鉄道駅でひたすら待ち続ける時間。2、3時間ならまだしも、10時間近いとなるとこれがなかなかつらい。特に1人旅だと、話し相手もおらず、眠るに眠れず、何をするにも重いバックパックを持ち歩かなければならない。しかも、いくら鉄道がこないからといって、気分転換に外を歩き回ることもできない。いつ鉄道がやってくるのか分からないので、ホームに流れる発着の放送に常に注意を払いながら待ち続けなければならないからである。

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ホームを徘徊するノラ犬軍団。上に下にと縦横無尽なんである。(左)上から見たホーム全景(右)

ブッダ・ガヤーを出発したときはまだ真っ暗だったのに、もうすっかり朝の空気が漂っていた。ホームには、シェパードのような数匹のノラ犬グループが、食べ物を求めて縦横無尽に走り回っていた。こちらが刺激しない限り、よほどのことがなければ彼等が襲って来ることはないが、飼い犬ではないので、ちょっとしたきっかけで何かが起こってもおかしくはない。

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ホームで座禅を組む老人。(左)マントの如く布を羽織り、気分はブッダか、はたまたジェダイか。(右)

ムラ染めが施された黒い大きな布をマントのように羽織り、ホームの石造りのベンチに腰を下ろし、ひたすら鉄道を待ち続けるその姿は、さながら座禅を組むブッダのように見えていたに違いない。ホームで座っていると、周囲をブンブンと無数のハエが飛び交っているのだが、長い旅路の末に悟りを得た僕には、もはやそんな攻撃は通用しないのだった。

ホームには貨物列車が停車していた。その車両と車両の隙間から対面のホームを覗くと、座禅に耽るインド人の老人の勇姿があった。こんな早朝からホームの上で、しかも半裸になって座禅を組むその姿はさすがという他はない。いわゆるプロフェッショナルというやつである。いかに悟りを得た僕と言えども、到底そこまではできないのであった。

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ようやくガヤーからコルカタへと向かう、コルカタ・ラージダーニーが到着!

僕はこの苛酷な鉄道の待ち時間の先に、ある秘策を準備していた。インドには “ラージダーニー・エクスプレス” (Rajdhani Express)と呼ばれる、ニューデリーとコルカタを結ぶ特急列車が走っている。日本で言う “新幹線” のような存在で、全車両エアコン完備の上、食事まで付いている、夢の豪華列車なのである。秘策というのは、ガヤーからコルカタまでの区間、このラージダーニーに乗ってみようという、なかなか楽しみな試みなのである。

待っているのがラージダーニーだけに、もしかしたらあまり遅延はないのではないかという期待感は大いにあったが、その期待はあえなく撃沈した。結局ラージダーニーは昼過ぎに到着し、これまでを上回る、約8時間もの遅れとなった。たとえラージダーニーであっても、インドの鉄道は予定時刻に到着するはずがないのである。そして、それはわざわざ危険な深夜に250ルピーもの大金を出して駅へと向かったことが無意味になった瞬間だった。

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至ってシンプルなラージダーニーの食事。(左)ちょっとしたオヤツも出るのだが、甘すぎた。(右)

到着早々にラージダーニーの車両へと乗り込み、自分の席を探す。席は奮発して “2A”(2等寝台)だ。これまでの鉄道の旅では、なんだかんだでことごとく邪魔が入ったが、今回はあのラージダーニーの2等寝台なのだからこれまでのようなことはあるまい。そう思い自分の席に行くと、そこはオヤジたちの溜まり場だった。僕の周囲の席はそろいもそろっていい年をしたオヤジで、彼等は集まって世間話に夢中になっており、一種のコミュニティを形成していた。

そんな場所に興味の対象である外国人旅行者が突っ込んで行ったわけで、乗車してから数分後にはオヤジたちに囲まれ、あれよあれよと質問攻めになっていた。彼等は日本人である僕がインドをどう思ったのか、日本と比べてどうなのかが知りたいようでいろいろ聞いてくるのだが、その中の1人が「以前知り合った日本人が、日本は仕事が大変だからインドに来たと言っていたがそんなに大変なのか?」と聞いてくるので、「そうは思わない、仕事が大変なのはインドも同じで、日本以上に苛酷な環境で働く人々の姿をインドで随分見た」と答えた。

そもそもインドで働くということと、インドを旅するということはまったく別次元の話なのであって、実際に現地で生活し、働くとなれば、インドだから楽ということはないと僕は思う。むしろ外国人が彼等の社会で生きていくというのは、より苛酷なのではないかとさえ思う。しかしまぁ何はともあれコルカタまでの道中ずっと話し込み、またも賑やかな時間を過ごしてしまったわけだが、彼等とはすっかり仲良くなって、いろんな話ができたのはよかった。

そうそう、ラージダーニーの食事だけど、オムレツとパン、バナナなどが付いた軽食で、味はそれほどおいしいという印象はなかったが、それでも鉄道の中で久しぶりに食べる食事は格別なものがあった。しばらくするとクッキーやケーキなどのオヤツの盛り合わせも持ってきてくれて、至れり尽くせりなのだが、オヤツはどれもものすごく甘くて、ちょっとしか食べられなかった。銀箔の付いたクッキーみたいのが見た目的にはちょっと面白かったかな。

どうやらインドの鉄道は今回も休む時間を与えてはくれないようだった。ラージダーニーであろうがそうでなかろうが、2等か3等かに関わらず、僕が乗ったインドの鉄道はいつだって賑やかだった。僕を乗せたラージダーニーは一路コルカタに向かって淡々と走り続ける。




2010'10'23(Sat)19:52 [ ブッダ・ガヤー ] CM0. TB0 . TOP ▲
戦慄の深夜の移動、ガヤー駅へ
インド、“ガヤー”(Gaya)から “コルカタ”(Kolkata)へと向かう鉄道が到着するのは、明け方の4:00am。ガヤー駅は田舎で、コルカタ行きの便が少ないこともあり、この便を利用せざるを得なかったのだが、できれば避けたかった。いや、避けるべきだった。

ガヤー駅のあるビハール州は、これまでの記事でもお伝えしたとおり、インド最貧地区と言われ、その治安は劣悪で、特にブッダ・ガヤーからガヤー駅の区間でトラブルが頻発している。早朝4時の鉄道の到着時間に間に合うよう駅に到着するためには、少なくとも2時~3時のもっとも治安の悪い時間帯に、リクシャーで移動しなくてはならない。

僕が宿泊していた “ラクシュミー・ゲストハウス”(Laxmi G.H.)のオーナーは、非常にフレンドリーで、安いシングル・ルームと同じ値段で広いデラックス・ルームにしてくれたり、いろいろサービスしてくれたのだが、ブッダ・ガヤーからガヤー駅へと向かうその日に限って彼は休みで、彼の代わりにフロントにいたのはまだ20代前半くらいの青年だった。

その日の日中、深夜2時の出発ということもあり、予めフロントにいるその青年にガヤー駅までのリクシャーの手配をお願いしておいたのだが、オーナーが休みということもあってか、かなりの高額をふっかけてきた。ガヤー駅からブッダ・ガヤーまで、行きはわずか40ルピーで来れたのだが、250ルピーもかかるというのだ。あまりの値段の差に少し悩んだが、深夜の時間帯であることと、他に選択肢がなかったので、その場はやむを得ず了承した。

深夜2時になりフロントまで行くと、暗闇の中エントランスの床で寝ている彼の姿があった。寝ている彼をさっそく起こしてリクシャーの手配はどうなっているのか聞くと、寝ぼけ眼でおもむろに携帯で電話をかけ始めた。その仕草から、どうもリクシャーを手配しているのかどうか怪しい。しかも真夜中の時間帯のせいか、まったく電話はつながらないようだった。

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明け方、日の出前のガヤー駅前は、たくさんの人で混み合っていた。

周囲にはすごい数の蚊が飛び交い、数分その場にいるだけで刺されまくったが、そのままフロントで待つこと30分、2時に手配したリクシャーは2時半になっても一向に現れる気配はなく、彼は時々携帯で番号を押す仕草をするだけで不信感が募っていた。にも関わらず、唐突に彼の口から出た言葉は「リクシャーの値段が350ルピーになった」だった。あまりにも脈絡がないので、「そんな額は払えないからオーナーと話をさせてくれ」と言うと、OKと言うのだが、一向にオーナーに連絡する素振りを見せない。そして、「やっぱり250ルピーで大丈夫だ」と言うのだ。どうにもこうにもこの青年は全く信用できない。隙さえあればふっかけてやろうという考えがダイレクトに伝わってきた。オーナー不在だとこうも乱れてしまうのか。

そうこうしているうちに時間は刻一刻と過ぎ、3時に近づいていた。このままでは埒が明かないので「3:00amになってリクシャーが来なければ、自分で探す」と言い、3時までの数分を待った。3時になり、もう行くよと話をしている時、外にリクシャーのエンジン音が聞こえた。

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駅の構内の床には、足の踏み場もないくらい大勢の人が寝ていた。

リクシャーは深夜の街道を走る。見慣れたブッダ・ガヤーの町を過ぎると、建物一つ無い無人の世界が広がっている。もちろん通行人など皆無だ。こんな場所で強盗に遭ったらひとたまりもない。無法地帯と言われるだけあるな、などと思いながら、街灯の少ない暗闇の街道の風景を眺めていた。周囲には治安の悪い場所に共通する、ピリピリとした妙な緊張感が漂っていた。

30分ほど走っただろうか、無人の世界から徐々にガヤーの町らしい風景になってきた。ここまで来ればガヤー駅はもう目の前だ。ほどなくして僕を乗せたリクシャーは無事ガヤー駅に到着したのだった。しかし、法外なリクシャー料金も含め、この時間帯に移動したことに後悔した。一歩間違えればトラブルに巻き込まれていたかもしれない。リクシャーを手配した青年が信頼できない態度であったことが、よりその気持ちに拍車をかけたのだろうと思う。

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どこもかしこも死人のように眠る人だらけで、まるで “ザ・スタンド” のワンシーンのようだった。

ガヤー駅は荒れていた。駅の構内に足を踏み入れると、足の踏み場もないくらいたくさんの人が床の上に寝転がっていた。その様はまるでスティーヴン・キングの小説、“ザ・スタンド”(The Stand)のように、あたかも大量の死体が転がっているシーンを連想させた。よく見ると構内に入りきらない人たちは駅の外でも寝ている。あまりにも異様な光景だった。

一難去ってまた一難、いろいろあってようやくガヤー駅に到着したが、安心はまだできない。なぜなら、恒例の鉄道の遅延があるからだ。今のところ7時間遅れは定番になっていた。鉄道の遅延具合によってはここからそうとうハードな持久戦になるはずだ。とはいえ、無法地帯の最悪の暗黒空間を抜けたことで、随分気持ちは楽になっていた。さてどうなることやら。




2010'10'22(Fri)18:51 [ ブッダ・ガヤー ] CM0. TB0 . TOP ▲
セーナー村にインドの原風景を見た
求めていたインドの原風景。それは心に描いた原初の風景。

ブッダ・ガヤーの東を流れる “ナイランジャナー川”(Niranjana/Phalgu River)を渡ると、その先に “セーナー村”(Sena Village)という名の小さな集落がある。

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美しい田園風景の中を、大きな植物や収穫物を頭に載せて運ぶ、たくましい女性たち。

橋を渡って村に入ると、それまでの乾燥した大地から一転し、そこにはのどかな田園風景が広がっていた。それはまるで幻のようだった。周囲には穏やかな風が吹きすさび、風が通り過ぎる度に新緑の稲穂がサワサワと美しい音色を奏でていた。その心地良い風のせいか、不思議と暑さを感じなかった。僕は田園の中に吸い込まれるように引き寄せられ、佇んでいた。

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田園の中の小道を収穫物を手に歩く女性たち。(左)農作物の収穫に勤しむ女性たち。(右)

一面に緑が広がる田園では、稲や麦をはじめ、様々な作物が育てられていた。そして、日中の強い陽射しの中、農作業に明け暮れる女性たちの姿があった。彼女たちは収穫した大量の作物を頭に載せて運び、時には身の丈を越えるような植物を運んでいた。ただひたすらに黙々と農作業に没頭する姿が目に焼き付いた。古の時代から変わらぬ風景がそこにはあった。

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村の奥へと続く1本道の両脇には田園風景が広がっている。

両脇に稲穂が風になびく、田園の細い小道に佇んでいると、脇に自転車を携えた1人の青年が話しかけてきた。彼は「村の案内をしたい」と言うのだが、僕は「自分のペースで見て歩くから気にしないで」と言って、しばらく田園風景に見入っていた。それでも彼は僕のそばから立ち去ろうとせず、話しかけてくるので、これは何か別の意図があるなと直感的にピンときた。

長い旅の経験から、必要以上に親切を押し売りしてくるこういうシチュエーションは、必ず何か別の意図(大半は金銭)があることを感じていた。こんな時は少し注意を払った方がいい。僕は彼との会話に耳を傾けながらも、あくまでマイペースに村の奥へと進んでいった。

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民家の脇には山羊の姿が。(左)小屋の外で寝る老人。(右)

セーナー村は小さな集落で、橋を渡った入口にこそ小さな商店があるようなものの、村の中にはいわゆる一般的な商店やレストランの類は皆無だ。舗装されていない一本道の両脇には美しい田園風景が広がり、その先には村人たちが住んでいる小さな藁葺き屋根の小屋が無数に立ち並んでいる。田園や道には牛や山羊の姿があり、原初のインドの風景を感じさせる。

おおよそ現代的ではないこの小さな集落からは、ある種の貧しさが漂ってはいるが、文明から隔絶されているとはいえ、美しい田園風景からは大地が恵む豊かさも感じた。

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日本人の寄付により建てられた学校ということらしいが・・・。

集落を散策しながら少しずつ奥へと歩いて行く。先ほどの若者は、そんな僕の後につかず離れずの状態でついてくるのだった。しばらくすると、村人たちが住んでいる小屋とは明らかに異なる、がっしりとした建物が目に入った。建物には大きな文字で “スジャータフリーチルドレンスクール これは日本語の学校です” と日本語とヒンディで書かれていた。

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教室の中。奥の棚には教科書が積まれていた。(左)案内してくれた青年と校長。(右)

すると先ほどの若者が、「ここは日本人が寄付して建てた学校で、貴方に紹介したい人がいます」と言って建物の中にその人物を呼びに行った。その無理な展開に、これはアレだなぁ・・・と思っていると、学校の校長先生という人物を連れてきた。彼はしきりに学校の説明をしてくるので、なんとなくその後のシナリオは読めてはいたけれど、彼の話に耳を傾けた。その日は休校日なのだそうで、子供たちの姿は見かけなかったが、教室の中を見せてもらった。

貧しくて子供たちの教材や文房具が行き渡らないという趣旨の説明を受けたが、あいにく僕には手持ちのお金は皆無だった(布製の簡易なサブウォレットに1日に必要な最低限の金額のみを持ち歩くようにしていた)し、こういう行きずりの寄付が、必ずしも(おそらく大抵の場合)子供たちの為に使われないということを知っていたので、「寄付することはできないけど、写真や文章でこの話を伝えることはできる」と彼に言うと、納得してくれた。

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スジャーターの家の跡。そもそも2500年前の牛飼いの家の跡が残っているというのが不思議。

学校を出て、さらに奥へと進むと、古墳のごとく山状にレンガが積まれた遺跡のような建造物が姿を現した。どうやらこれがスジャーターの家のようだ。スジャーターは苦行で衰弱したブッダに乳粥を供養した牛飼いの娘で、この村のシンボル的な存在になっている。

レンガ造りの圧倒的な大きさの建造物は、崩れているとはいえ、もしこのレンガが建物の基盤なのだとするのであれば、2500年前に建っていたとされる当時のスジャーター家はとてつもない大きさであることが容易に想像できる。この村の住民たちが住んでいる藁葺き屋根の小屋とは随分違うなと感じた。当時の牛飼いはこんなに立派な家に住んでいたのだろうか。

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かつてのスジャーターを思わせる、水牛の群れをまとめる少女。(左)作物を収穫する女性たち。(右)

再び田園風景へと目を向ける。田園にはたくさんの水牛の姿があった。1人の少女が水牛の群れをまとめていた。牛飼いの娘だったスジャーターもきっとこんな感じだったのかもしれないな、などと感慨に耽っていると、その少女が水牛の群れと共に近づいてきた。彼女は僕に向かってなにやら叫んでいる。どうやら金をくれという趣旨のようだ・・・むむむ、どうもこの村はのどかな田園風景とは裏腹に、訪れる旅行者にたかるのが基本になっているらしい。

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風になびく稲穂と、人々が暮らす小屋。その美しい風景の裏側には・・・。

相変わらず心地良い穏やかな風が吹いていた。風になびく稲穂は、もうしばらくしたら金色に光り輝くに違いない。大地の恩恵を存分に受けた、この美しい田園風景と共に暮らす人々。その美しい風景の裏側では貧困と対峙する日々が隠されているのかもしれない。

そんな複雑な思いを胸に、セーナー村を後にした。




2010'10'15(Fri)20:20 [ ブッダ・ガヤー ] CM2. TB0 . TOP ▲
ナイランジャナー川を越えて
大陸と表現するに相応しい、広大なインド亜大陸。その原風景こそ僕を魅了してやまない、今回のインドの旅でもっとも体感したいと望んでいた世界だ。

現代から約4600年程遡った紀元前2600年頃、この地のインダス川流域に世界四大文明のひとつとされる “インダス文明” が栄えた。インダス文明は、後に移住してきたアーリア人がガンジス河流域の先住民を支配してカーストに基づく社会を形成し、それが今日のインド社会の基盤となっている。インドには、今尚古代の風習が息づいているのである。

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スジャーターの橋の手前には商店などがあり、現地の人たちで賑わっていた。

ブッダ・ガヤーの町から北にしばらく歩くと、“ナイランジャナー川”(Niranjana/Phalgu River)という大きな川が流れている。この川に架かっている “スジャーターの橋”(Sujata Bridge)という橋を渡ると、その先に “セーナー村”(Sena Village)という小さな集落がある。

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橋の手前の風景。遙か遠方に向こう岸が見える。(左)炎天下の中、木陰で涼む人の姿も。(右)

セーナー村は別名スジャーターの村とも呼ばれ、6年にも及ぶ厳しい苦行の末衰弱したブッダに、この地に住むスジャーターという名の娘が乳粥を供養し、その命を救ったという伝説があり、その後ブッダはあの有名な菩提樹の下で悟りを得て仏教が成道したと言われている。

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炎天下の中、橋を渡る。人通りはそれほど多くなく、そのほとんどが徒歩、あるいは自転車だった。

そんな伝説が残っているセーナー村へと向かうべく、日中の強烈な陽射しの中、僕はひたすら歩いていた。スジャーターに関する伝説の真偽はともかく、この場所でならもしかしてインドの原風景が見れるかもしれないという淡い期待があった。これまでいくつかのインドの街を訪れてきたが、原風景と表現できるような風景には未だに出会えていなかった。

まずはナイランジャナー川を越えなければならない。橋の手前には商店が集まっており、現地の人たちで賑わっていた。この先、セーナー村には飲料水などの入手が困難であることを聞いていたので、予め1リットルのミネラルウォーターのペットボトルを買っておいた。

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はるか遠方に前正覚山のシルエットが。(左)前正覚山はブッダが修行したとされる山。(右)

さっそくスジャーターの橋を渡りはじめる。橋の入口から前方を見ると、向こう岸まではかなりの距離があり、はるか遠くに対岸に生い茂る木々の緑がうっすらと見える。しかし、ここまで来ていまさら引き返す手はない。とにかく歩いて歩いて歩き倒すのみだ。

しばらく歩くと、平坦な砂地帯の奥に山のシルエットがうっすらと浮かび上がってきた。“前正覚山”(ぜんしょうかくざん)と呼ばれる、ブッダが苦行を行った有名な岩山だ。前正覚山の名前の由来だが、ブッダが正覚(悟り)を得るに修行したということらしい。

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橋の中央にて。乾いた空気がまるで砂漠の中にいるようだった。雨季に水が流れるのが信じられない。

橋を渡った第一印象は、「あれっ、川がない!?」だった。橋の下には、砂漠さながらの乾いた砂地帯が広がっていたのである。これほど大きな川の水が干上がってしまったのだろうか。どうやらこの川は雨季になると流れ、乾季になると干上がって砂地になってしまうようだ。これほどの巨大な川が、雨季の増水期以外は干上がってしまうというのはなんとも不思議なものだ。

ブッダ・ガヤーでは酷暑期が4~6月で、雨季が6~9月なので、僕が訪れた3月下旬はギリギリ酷暑期の前といったところだろうか。調べてみると、ナイランジャナー川に水が流れている写真もあったので、おそらく9月頃に訪れれば本来の川らしい風景が望めるのではないかと思う。

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川の中程に佇む少年。何をしているのだろうか。(左)同じく川の中程で生活する女性。(右)

対岸に近づくと、徐々に砂地帯に緑が見えはじめた。周囲を見渡すと、川の中(砂地帯ではあるが)を歩く少年の姿や、掘っ立て小屋のような小さな小屋で生活する女性の姿があった。雨季になって川の水に飲まれてしまわないのだろうかと気にはなったが、その時は移動するのか、はたまたそこまでは水がこないのか。いずれにしても何らかの手段でうまくやるのだろう。

見渡しのいい砂地帯なだけに、川の中に捨ててあるプラスチックゴミが目に付いた。特に対岸近くになると捨てられているゴミの量も増えているように感じた。

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橋を渡った先にある商店。セーナー村の入口だ。人影は少ないようだが・・・。

橋を渡って少し歩くと建物があり、ちょっとした商店になっていた。ここがセーナー村の入口だろうか。橋を渡る人の姿もまばらではあったが、渡った先には人影はほとんど見えず、静かだった。それは、今までどこにいっても人で混み合っていたインドの街とは明らかに異質な空気だった。治安を抜きにして言うのなら、僕はこんな空気は嫌いじゃない。

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穏やかな風になびく、新緑の稲穂。風に揺られてサワサワと奏でる稲の音。そして蒼い空。

その先に広がっていたもの。それは僕が求めてやまなかったインドの原風景だった。大地と共に暮らす人々の姿、古の時代から変わらぬ世界がそこに広がっていた。

次回はいよいよブッダ・ガヤーのハイライトです。お楽しみに!




2010'10'13(Wed)19:39 [ ブッダ・ガヤー ] CM0. TB0 . TOP ▲
各国寺院とブッダ・ガヤーの日々
前回記事でブッダ・ガヤーの日本寺、“印度山日本寺” を紹介したのですが、仏教の最高聖地であるブッダ・ガヤーには、他にも様々な国の僧院や仏教寺院がこぞって建設されており、それらの寺院は日本寺と同様に、自国の建築様式で建てられているんです。

今回はそんなブッダ・ガヤーの各国寺院と、僕が体験したちょっとした裏話を紹介したいと思います。実は各国寺院はかなりの数があるのですが、時間の都合ですべてを回ることができなかったので、紹介できるのはほんの一部になってしまいますが・・・。

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昔の日本の長屋のようなイメージに近いかも。(右)水場で顔を洗ったり、水を汲む女性たち。(左)

宿泊していたラクシュミー・ゲストハウス近くの居住地区では、ようやく朝の空気に包まれていた。集落の女性たちが水場で顔を洗っていたが、朝は女性と子供の姿しか見かけなかったので、男性は既に仕事に出てしまった後なのかもしれない。

僕は彼女たちと「おはよう!」と朝の挨拶を交わし、街道に向かって細路地を歩きはじめた・・・ところまでは良かったのだが、見てしまったのである。

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ゴミ捨て場になっている広場を闊歩する豚。そこで見たものとは・・・。

この集落の向かいは広場になっている。広場とは言っても上の写真のようにゴミ捨て場のような場所になっているんだけど、ここにはたくさんの豚が放し飼いになっていた。おそらく雑食の豚がゴミを食べてくれるから放しているんだろうな、などと考えながら豚がウロウロしている広場を眺めて歩いていると・・・なぜか広場の中程にしゃがみ込んだ少女の姿が。

ハッ!? 見てしまった。そう、その少女はしゃがみ込んで用を足していたのだ。すぐに気付いたんだけど、しっかり目が合ってしまい、かなり気まずい雰囲気に。ゴ、ゴメンよぅ~・・・。どうやらその広場はゴミ捨て場でもあるけど、トイレにもなっているようで、豚はそういうのを片付けてくれる役割なのだろう。知らなかったとはいえ、ゴメンネ。

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残念ながら門は閉ざされていたが、特徴的なブータン寺の門。(左)ブータン寺の近隣にいた牛。(右)

気を取り直して、まずは “ブータン寺”(Bhutanese Monastery)を紹介。各寺は開放する時間帯が決まっているらしく、僕が訪れたいくつかの寺は門を閉ざしていた。ブータン寺も中までは見れなかったが、閉ざされた門には紋章のような図柄が刻まれていた。

ブータン寺の周囲の通りを歩いていると、牛が数匹いるのを見かけた。そこまではなんの変哲もない、よくあるインドの光景だったんだけど、さらに通りを行くと、道の真ん中で10歳に満たないくらいの少女が牛糞を大量に集めて山を作っていた。

うわっなんだ~!? と思って眺めていると、その少女は素手で牛糞をおにぎり大の大きさの団子状にし、潰している。おそらく牛糞を適当な大きさに乾燥させて燃料にするためなのだろうけど、実際に目の前で、まだ幼い少女が、素手で牛糞を集めている姿は衝撃的だった。

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日中はチベット寺も閉ざされていた。(左)他の国の門構えに比べると日本寺の門は地味だ。(右)

一方、“チベット寺”(Tibetan Monastery)の入口の門は豪華絢爛で、本堂の外観もなかなか立派です。日本寺と並べて見ると、その雰囲気の違いに驚かされます。というか日本寺だけ妙に質素で、日本の仏教スタイルが垣間見えますね。ちょっと地味すぎるかも?

僕がチベット寺を訪れた時は、時間帯のせいかやはり門は閉ざされていて、門の前には守衛のような人たちが陣取っていた。なのであまり近くには寄れず。

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中国寺は門が無くオープンな雰囲気。(左)寺院かと思ったらベトナム仏教研究所とのこと。(右)

中国寺”(Chinese Monastery)は、比較的中心地区に近い街道沿いにあるため立地が良く、また入口に門が無く開放的な雰囲気なので、境内は多くの参拝客で混み合っていた。オープンになっていて入りやすい反面、境内に物乞いの姿があったのが印象的だった。他の寺院と比べ、本堂は特別豪華というほどでもなかったが、入口の鳥居のような門には親近感を覚えた。

ブッダ・ガヤーにはここで紹介した以外にも、タイやビルマ、ベトナム、ネパール、タマン族、大乗教など、たくさんの僧院や寺院が建てられている。その中でも “タイ仏教寺院”(Thai Monastery)は立地も良く、豪華な造りだったのが印象に残った。

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ヴィシュヌ・レストランと隣のオム・レストランは数少ないブッダ・ガヤーの食事処。

夕方、少し早めだが夕食を食べようと思い街道沿いを歩いていると、インド人の少年が僕に話しかけてきた。以前知り合ったデリーからやって来た少年と同じくらいの年頃で、せいぜい10歳くらいだろうか。時間もあったし、悪そうな子供でもないので話をしながら歩いたのだが、少年は隣村のセーナー村から友達のいるこの辺りまで遊びに来たのだそうだ。

まぁ話といってもセーナー村にはもう行った?マハーボディ寺院はもう見た?などというありきたりな話題だったが、レストランの近くまで来たので、「これから夕食を食べるからまたね!」と手を振ると、「僕も一緒に・・・」などと言うので、たかり癖がついたら良くないと思い、その場は断った。彼は残念そうに「じゃあね」と言ってセーナー村の方へ歩いて行った。

その少年からは貧しさからくる何かを感じたのと、それ故に外国人旅行者に対して何かしらの期待感があるのだろうなとは思ったが、これからブッダ・ガヤーを訪れる他の旅行者にとっても、彼にとってもあまりいいことではないなと思い、あえて一緒に食事はしなかった。

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オムライスとマッシュポテトで70ルピー。両方とも本来のモノとは別物。

さて、今回はヴィシュヌ・レストランのすぐ隣にある “オム・レストラン”(Om Restaurant)に入ってみた。メニューは両者共ほぼ同じ。値段もだいたい同じかな。店内の雰囲気もよく似ているけど、若干ヴィシュヌ・レストランの方が雰囲気的にこなれているかなといったところ。で、今回オーダーしたのは “オムライス” と “マッシュポテト” なんだけど、味は・・・一応食べれるけど結構微妙だったなぁ。特にマッシュポテトは水っぽいかんじでイマイチだった。

インドを旅していたときはごく当たり前のプレートなんだけど、こうやって改めてテーブルの上に置かれたプレートを見ると、わびしい夕食だったなぁとしみじみ思う。ここでは以前メニューに “Yakisoba” ってあったので、お、珍しい!とか思って注文してみたんだけど、焼きそばとは似ても似つかない細切れのパスタみたいのが出てきて、味も食べれないほどひどかった。後から考えてみれば焼きそばなんか出てくるはずがないなと・・・。ヴァラナシの日本人経営の日本食レストランが優秀だったからなぁ。まぁそれも今となってはいい思い出か。

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生き生きとした力強いグリーンがインドらしい。

そうそう、食事をしているといかにもなインド人のオヤジが4人くらい店内に入ってきて、テーブルに座った。しばらくして瓶のコーラが4つ運ばれてきた。彼等はプハーーッと、さもうまそうにそのコーラを飲んでいたんだけど、その姿がまるでビールでも飲んでいるかのようで面白かった。宗教上の理由からあまりアルコールをたしなまないインド人にとって、コーラを飲んで過ごす一時は、仕事の後の一杯みたいなものなのかもしれないと思った。

最後にブッダ・ガヤーのインターネット事情についても触れておこうかな。ヴィシュヌ・レストランの隣にインターネット・カフェがあって、そこで日本語が打てるので時々利用したんだけど、ブッダ・ガヤーは停電がすごいので、ブログの記事更新やメールの送信にはすごく苦労した覚えがある。停電は頻度もさることながら、一度停電すると日中ずっと停電になったりする。僕は1度停電で失敗してから、予め記事の内容をメモっておいて入力するようにしていたんだけど、それでも停電になるとしばらく回復せず、そこで終わりになってしまうので、つらかった。とまぁこんなかんじでブッダ・ガヤーのインターネット環境は劣悪でした。

なんかとりとめもなくいろいろ書いたけど、話は尽きないので今回はこの辺で。




2010'10'11(Mon)11:34 [ ブッダ・ガヤー ] CM0. TB0 . TOP ▲