見上げれば、そのすべては自由なのだから  GOLD EXPERIENCE: 世界を旅する黄金体験
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インドのブックストア
これまでのインドの記事で紹介しきれなかった、インドのブックストアを紹介。当たり前と言えば当たり前なのですが、インドにもブックストアはあるんです。

今回は、そんなインドのブックストアの中でも、アート系の本の品揃えが豊富な高級ブックストア、“オックスフォード・ブックストア”(Oxford Bookstore)を紹介します。

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デリーのオックスフォード・ブックストアがある、コンノート・プレイス近くのビルの上から。

オックスフォード・ブックストアは、インドの都市部を中心にチェーン展開していて、デリー、ムンバイ、ベンガルール、コルカタ、ゴアなど、インド国内で14店舗(2010年2月現在)のチェーン展開をしている、インドではメジャーなブックストア。

僕はそのうちのデリー店とコルカタ店を訪れたのですが、日本で言うと “青山ブックセンター”(ABC)のような本屋と表現するとイメージに近いかもしれません。

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デリーのオックスフォード・ブックストアの入口。(左)ビル自体も曲線的なデザインがユニーク。(右)

インドでの「本」は、日本に比べると庶民的な存在ではなく、かなり敷居が高いような気がしました。まず、日本と比べるとブックストアの店舗数が極端に少なく、ほとんどの場合都市部に集中しているということと、そもそも「本」というものがインドの物価的には非常に高額で、必然的に中流~上流階級のものという位置づけになっているように感じました。

では、さっそく中に入って見たいと思います。オックスフォード・ブックストアでは、入店時に入口で手持ちの荷物を預けることになります。テロや盗難に対する対策として、入店時に手荷物を預けたり、荷物検査を行ったりというのは、インドでは日常的な光景です。

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やや煩雑ではあるが、広い店内の本棚には本がぎっしり。コルカタ店はもっと整頓されていた。

さて、店内に入ると予想以上に空間が広く、写真集やアート関連の本など、ビジュアル系の本を中心に品揃えが豊富で、本棚にぎっしりと詰まっていました。基本的には英語の本がメインなので、日本人にとってはかなり親しみやすいのではないかと思います。

気になる本の価格帯なのですが、日本や他の先進国とほとんど変わりません。モノにもよりますが、写真集だと40~70ドル位のものが多いです。高額なのは、欧米諸国からのインポートの比率が高いことが起因していると思います。もし、同じ商品の価格を国別に厳密に比べれば、多少の価格差はあるかもしれませんが、リーズナブルなホテルなら1泊10ドル(460ルピー)以下で十分宿泊できてしまうインドの物価を考えると、とてつもなく高額です。庶民にはとても手が出ない価格帯なのではないでしょうか。僕でもちょっと高いな~と思ってしまった。

例えば、50ドルの写真集だとすると、インドの貨幣価値を考慮して単純に10倍で計算しても、日本円だと4万円以上の価値があることになります。とはいえ、日本人にとっては国内で洋書を購入するのと大差ないので、セールなどでうまく掘り出し物を探せばお得かもしれない。

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狙い目はセールになって積み上げられている本。意外な掘り出し物が見つかるかも。

客層は、比較的若い層(20代~30代)が中心で、男性客だけでなく女性客も多かった。皆一様にどこか知的で洗練された雰囲気が漂っていて、しっかりと高等教育を受けている富裕層のエリート・インド人という印象を受けた。男女共に洋服を着ている人が大半だったのも特徴的だった。おそらく周辺の大学に通う、大学生たちも多いのではないかと思う。

オックスフォード・ブックストアの最大の特徴は、店の奥にくつろげるカフェスペースがあって、飲み物を飲みながらゆっくり読書が楽しめるところ。インドの街にはカフェが少なく、とても道端で読書をするような雰囲気ではないので、こういう空間を提供してくれるというのは有り難い限り。また、店内にはちょっとした土産物を置いているコーナーもあるので、インドの都市部を訪れたら立ち寄ってみるのもいいかもしれない。個人的には結構お気に入り。

最近は必ずしもその限りではないけど、僕は旅先で訪れた国の写真集をできるだけ買うようにしているんだけど、なかなか選択肢が豊富で、どれを買うか悩んでしまった。




2011'02'02(Wed)20:46 [ デリー ] CM0. TB0 . TOP ▲
サ・ヨ・ナ・ラ ・イ・ン・ディ・ア
次の目的地、ネパールの首都 “カトマンドゥ”(Kathmandu)では、me12611-1.jpg先生と合流することになっていた。1人旅から2人旅になることで、旅が格段に快適になるだろう。

インドからネパールへの移動には様々な選択肢があるが、多くのバックパッカーは長距離バスによる、陸路での国境越えを選択するのではないだろうか。

最もメジャーなルートは、バスでヴァラナシから北上し、インド・ネパール国境の町スノウリを経由して、ポカラへと向かうルート。そして、パトナー(またはガヤー)から北上し、同様に国境の町ラクソウルを経由して、カトマンドゥへと向かうルートがある。コルカタからだと、まず北上し、ジョグバニやパニタンキあたりの国境の町を経由してネパールに入国し、ヒマラヤ山脈の麓をカトマンドゥへと向かうルートになるが、これはかなりの長距離移動となってしまうため、旅の日程の都合もあって、今回は空路でカトマンドゥに向かうことにした。

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インドの最後に、インドで初めて食べたケーキ。チョコレートケーキとマサラ・ティーで123ルピー。

宿泊していた “アシュリーン・ゲストハウス”(Ashreen Guest House)のスタッフとはすっかり顔馴染みになっていて、特にいつもフロントにいるインド人らしからぬ端正な顔立ちのスタッフとは、ちょっとした冗談交じりのやりとりができるようになっていた。チェックアウトの際、その彼は気を利かせて、僕が空港へと向かうプライベート・タクシーを手配してくれていた。

カトマンドゥ行きの航空便は13時過ぎの出発で、午前中はそれほど慌ただしくなく、のんびりと過ごすことができた。コルカタの空港、“チャンドラ・ボース国際空港”(Netaji Subhash Chandra Bose International Airport)は、市内から北東へ13km離れた場所にある。その日はインドでは珍しく、やや曇りがちの天候だったが、僕を乗せたタクシーは交通渋滞にハマることもなく、到底インドらしからぬスムーズさで、予定していた時刻よりかなり早く空港に到着した。

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搭乗ロビーの窓の外はあいにくの雨。(左)飛行機の窓は水滴で曇ってよく見えなかった。(右)

国際空港とは言っても、チャンドラ・ボース国際空港はそれほど広くはない。かろうじて軽食が食べられるカフェや土産物などを販売するショップがあるだけで、早めに空港に到着したからと言って特にすることはなかったが、カフェの存在はうれしかった。

テーブルが2つしかないような小さなカフェ・スペースなのだが、ショーケースには少なくとも見た目的にはおいしそうなケーキが並んでいた。朝から何も口にしていなかった僕は、早速テーブルに荷物を置いて、インドの旅では1度もお目にかかることのなかった「うまそうな」チョコレートケーキとマサラ・ティーを頼んだ。久々のケーキはたまらなくうまかった。

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エア・インディアの昼食はチキン・ビルヤーニー。

僕が乗る便は予定よりかなり遅れているらしく、結局出国審査が終わった後も空港の搭乗ロビーで1時間以上も待たされた。カトマンドゥの空港で先生と待ち合わせをしていたので、到着が遅れると長時間待たせてしまうのが気にはなっていたが、こればかりは仕方ない。ふと搭乗ロビーの窓から外を眺めると、勢いよく雨が降り注いでいた。元々曇りがちの天気だったが雨へと変わったのだろう、乾季のインドで雨は珍しい。実際インドを旅して初めての雨だった。

長時間待たされ、ようやく飛び立った飛行機の窓は、水滴で曇っていて外の景色はほとんど見ることができなかった。実は、密かに上空からヒマラヤ山脈を見てやろうと計画していたので非常に残念だったが、同日に別便で飛び立った先生のカメラにはしっかり収まっていた。

ここからは、先生が別便で撮影した写真。さすがです。

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上空から見たヒマラヤ山脈。僕より数時間早かったせいか、まだ厚い雲に覆われていなかった。

エア・インディアで出された昼食は “チキン・ビルヤーニー”(Chiken Biryani)だった。ビルヤーニーはドライカレーみたいな食べ物。狭い機内でも食べやすく、おいしかった。

15時過ぎにカトマンドゥに到着予定だった飛行機は、予定より2時間程遅れ、17時過ぎの到着になってしまった。遅れたとはいえ、コルカタからカトマンズ間の、バスだと1日半もかかってしまう長距離を、飛行機を利用すればわずか1時間半足らずで到着してしまうのだから驚く。

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ネパール上空の風景。山岳地帯を抜けると、田園風景が広がっている。

このネパール上空の写真は、先生のもの。田園地帯や山岳地帯など、変化に富んだ風景が続いている。上空から見ると乾燥した砂漠地帯が多かったインドの風景とは随分異なる。

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カトマンドゥ近辺の上空からの風景。大きな街が見えてきた。

わずか1時間半のフライトで、もうカトマンドゥ上空に近づいていた。本当にあっという間だ。残念ながら僕の方は天候と窓の事情でこんなに鮮明な景色を見ることはできなかったが、写真を見る限り眼下に大きな街が広がっているのが見える。新たな旅路に胸が心躍る瞬間だ。

さあ、どんな旅になるのだろうか。ネパールの旅が今、幕を開ける。




2011'01'26(Wed)18:21 [ コルカタ ] CM2. TB0 . TOP ▲
インド最後の日
インド、デリーからスタートしたこの旅も、いよいよ最後の1日となりました。コルカタ最後の1日は、即ちインド最後の日でもあります。できるだけインドの世界観を伝えたいと思い、丁寧に記事を進めていたら、いつの間にかかなりの記事数になってしまいました。

コルカタ最後の1日は、これまでの記事で紹介しきれなかった、日中の “ニューマーケット” と、夜の “サダル・ストリート” の風景を中心に進めていきたいと思います。

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日中のニューマーケット。独特の赤い建物が印象的。

以前、“インドのデパート” の記事で紹介した、コルカタのニューマーケット。オススメは夜だけど、日中はまた一味違った雰囲気。というかむしろこっちの方が一般的なニューマーケット周辺の風景かもしれない。特徴的な赤い建物の中に、たくさんの商店がひしめいている。

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ターナー・リクシャーは近い将来、コルカタから消えていく運命にある。

このエリアでは、ターナー・リクシャー(人力車)の姿をよく見かけた。人力車って、珍しいもののようではあるけど、実は日本の観光地などでも時々見かける。僕がよく訪れる鎌倉でも、駅周辺に人力車がたくさん駐まっている。一昔前のコルカタのターナー・リクシャーは裸足だったのかもしれないけど、今では皆サンダルくらいは履いているようだった。

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サダル・ストリート脇の細道を走る、ターナー・リクシャー。

さて、ところ変わって夜のサダル・ストリートへ。サダル・ストリートもやっぱり夜の街。もちろん商店やレストランは日中も営業しているんだけど、夜の方が活気に溢れている。1日観光に出歩いて、ホテルでシャワーを浴びた後、夜のんびりサダル・ストリート周辺をブラブラ歩くのがいつものパターン。コルカタは、夜は日中の暑さが嘘のように涼しいので過ごしやすい。

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対面のベンチに旅行者がたむろっておしゃべりを楽しんでいる。彼等とのコミュニケーションも楽しい。

ここは厳密にはサダル・ストリートではなく、サダル・ストリートの脇道なんだけど、実はこの通りが一番活気がある、このエリアの繁華街なのかもしれない。細道に露店に近い形のチャイやら食べ物やら雑貨を売るお店が軒を連ねているんだけど、対面にベンチがあって、いつも旅行者で賑わっていた。言わば旅行者のコミュニケーション・スポットみたいなところ。

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対面のお店の風景。雑貨屋だけど幅広い商品展開で、野菜も売ってるみたいな。

現在のサダル・ストリートはかなり健全な印象を受けたけど、夜になると若いインド人の女の子たちが道端に座り込んでいたりして、歩いていると声をかけられたりする。たぶんソッチ系なんだろうな~と思って、ニコッと笑って手を振るくらいで適当にあしらってたんだけど、中にはグループでいたりして、ものすごい強引に誘われたこともあった。

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こちらは食べ物の店。建物の凹んだ部分でやっているので、ほぼ露店に近い。

そういうのとは別に、サダル・ストリートはそれほど広範囲ではないので、旅行者同士の出会いの場は結構あるような気がする。英語が少し話せることが前提にはなってしまうけど、欧米人の他、タイ人や韓国人の姿もよく見かけた。日本人はいるにはいるんだけど、あまり多くなかった。今回のインドの旅では、日本人より韓国人の方が圧倒的に多くて、意外だった。どちらかというと、日本人は大規模な観光スポットの団体ツアー客で見かけることが多かった。

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残念ながら夜の外観写真は撮り忘れてしまったけど、こんな感じのお店。

コルカタ最後のシメは、時々お世話になった “香港飯店” で。コルカタの記事で何度も書いてるけど、やっぱりチャイニーズが手頃な値段で気軽に食べられるのは有り難い。

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ワンタンヌードルと、チキンモモで123ルピー。醤油があるのがうれしい。

この日はワンタンヌードルと、チキンモモを注文。“モモ”(Momo)はチベット料理の一種で、小籠包とか蒸し餃子に近い食べ物。本来はチベット文化圏の食べ物なんだけど、かなり広域で食べられていて、インドでもガヤー辺りの東インド周辺エリアからモモを出すレストランを見かけた。ネパールでもごく一般的なメニューとして多くのレストランでモモを出していたので、インド北部のヒマラヤ山脈周辺地域では広く食べられている料理なのかもしれない。

肝心の味だけど、ワンタンヌードルはやや薄味で、まあそこそこ。チキンモモは醤油があったので、ちょっと感動した。インドを旅していて、なかなか醤油にはお目にかかれない。インドは大半がカレー風味のものばかりだから、日本的な味はほとんどあきらめていたんだけど。

なんかインド最後の日とは思えない記事の流れだけど、これまでの記事でインドの世界観をたっぷり書いたから、少しでもインドのことが伝わっていればうれしい。

インドという国はたくさんのスパイスが混じり合ったカレーのような国。インド文化は時に複雑で不可解なこともあるけど、彼等なりの解釈でちゃんとルールがあって、それが分かってくるとそんなに異世界ということもない。僕のインドの記事をずっと見てくれた人は、インドの風景に目が慣れるにつれて、きっと当初よりも身近に感じるところがあるのではないだろうか。

さて、旅はまだ続きます。インド、コルカタから次なる目的地、ネパールへと向かいます。




2011'01'21(Fri)19:06 [ コルカタ ] CM0. TB0 . TOP ▲
コルカタのクライマックス、沈みゆく太陽
インド、コルカタのクライマックスは、フーグリー河の対岸に沈む夕陽です。

コルカタを縦断して流れるフーグリー河はガンジス河の分流で、負けず劣らずの大河ではあるが、ヴァラナシのガンジス河と比べると、それほど開放的なイメージではない。しかし、コルカタのベストスポットは、この河を無視して語ることはできない。

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怪しげなギリシャ風の門がバーブー・ガートの入口。

コルカタの市街地図を見ながら、サンセットのベストスポットを模索していた。太陽は西に沈む・・・ということはフーグリー河の対岸に太陽が沈む計算だ。

ハウラー橋の上からも素晴らしい日没が見れることはまず間違いなかったが、僕は既にハウラー橋からの日の出を拝んでいたので、今回はあえて河沿いのガートで日没の時間を過ごすことにした。ガートからであれば、撮影が禁止されているということもないだろう。

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怪しいギリシャ門を降りると、開けた場所に出る。(左)日没前に沐浴をする人たちの姿も。(右)

最終的に僕が選んだのは、フーグリー河のハウラー橋と第2ハウラー橋の中間(やや第2ハウラー橋寄り)に位置する、“バーブー・ガート”(Babu Ghat)というガート。ここは地図上で見ると川幅が広がっており、コルカタに架かる2つのハウラー橋を眺めることができそうだ。

夕方、早速予め目星を付けていたバーブー・ガートへと向かった。バーブー・ガートは、位置的には安宿街サダル・ストリートからそれほど距離はないが、特に観光スポットというわけでもなく、河沿いの大通り(Strand Rd.)にひっそりと佇んだ、ギリシャ風の柱が立ち並んだ門がガートへの入口になっている。まだ日没には少し時間があったが、門の上部に書かれた “Babu Ghat“ の文字を確認し、足早に門をくぐり、ガートへの階段を降りていった。

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太陽がゆっくりと対岸に沈みはじめた。静かな時間が流れていた。

ガートに降りると、少し開けた場所に出た。河岸には特に階段などがあるわけではなく、すぐ目の前に穏やかに流れるフーグリー河があった。地面にはかなりのゴミが散乱していたが、これまでインドの多くの場所を訪れてきたせいか、ゴミがあることにはすっかり慣れていた。

フーグリー河はコルカタのヒンドゥ教徒にとっては聖なる河で、僕が訪れた時には、既に沐浴をしている人たちがいた。ヴァラナシのガンガーのように、大勢の沐浴する人々でごった返したような賑やかな雰囲気ではなく、静かに日没を待つ人々の姿がそこにはあった。

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家族連れの一団は、沐浴ではなく水を汲みに来たようだ。

日没の時間が近づくと、少しずつ人が増えてきた。家族連れのインド人は、空のペットボトルを何本も持ってきて、河の水を汲んでいるようだった。飲み水にするのだろうか、夕方であらゆるものが紅く染まっているとはいえ、河岸にはかなりのゴミが堆積しており、とても飲み水に適しているとは思えなかったが、ヒンドゥ教徒にとってはこの水こそ聖なる水なのだ。

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ペットボトルにフーグリー河の水を汲む少年。

川の流れは穏やかだった。少年が河の水をペットボトルに汲む様子をずっと見守っていた。もうすぐここコルカタともお別れだ。それは即ちインドとの別れでもある。その時は刻一刻と迫っている。振り返れば、なんという刺激的で、魅力的な旅だったのだろうか。

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対岸に沈みゆく太陽。強く紅を帯びていたが、ある瞬間フッとその輝きを失い、優しい光に変化する。

インドを旅して、一体何回目のサンセットだろうか。日の出と日没。それこそ幾度となくインドの各地で眺めた太陽の姿は、この旅を象徴するかのように心に深く刻まれていた。インドを旅して見たもの、それは沈みゆく太陽と、昇りはじめる太陽だったのかもしれない。

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沈む直前の、紅く光り輝くコルカタの太陽。インド最後の日没。

そして、おそらくこれが最後のサンセットになるだろう。これまでの旅を、出会った人々を思い出しながら、次の目的地に向かってエネルギーは満ちていた。

空は紅く染まっていたが、太陽が沈むと夜の帳の蒼が降りてきた。

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左奥に見えるのが第2ハウラー橋。(左)ガートには大量のゴミが堆積していた。(右)

インド最後のサンセットを眺めて、帰路につくことにした。日が沈むと、地面に堆積したゴミが目立ちはじめたが、空には美しいグラデーションが広がっていた。

インドではとにかくよく歩いた。毎日休むことなく1日中、よく歩いた。ずっと憧れていたインド。そこは刺激に満ち溢れていた。そして、人々は皆エネルギッシュだった。そんなエネルギッシュな人々に囲まれて、いつの間にか僕自身も活力に溢れていた。

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日没後の空に浮かぶ、金色に輝く月。

帰り際、通りを歩きながらふと空を見上げると、夕陽の紅と夜の蒼が入り交じったグラデーションの中に、美しい金色の月が浮かんでいた。不思議と心は穏やかだった。




2011'01'17(Mon)20:21 [ コルカタ ] CM0. TB0 . TOP ▲
マザー・テレサとコルカタの見所
コルカタの記事もあとわずか。今回は、前回記事で紹介したパーク・ストリートと南北へ交差する大通り、“Acharya Jagadish Chandra Bose Rd.” の風景を中心に、コルカタを拠点に活動したマザー・テレサと、コルカタの観光スポットについて触れてみようと思います。

これまでの記事の写真と合わせると、コルカタの中心地区の外周をぐるりと一回りしたことになるので、コルカタの街の様子が鮮明になってきたのではないでしょうか。

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この通りの、庶民的な街の雰囲気が僕は好きだ。

コルカタ”(Kolkata)は、数あるインドの都市の中でも特に魅力的な街だ。それは間違いない。ではコルカタの見所は何かと聞かれると、少々返答に困ってしまう。

ガイドブックに載っている街の見所だけをただ羅列するのであれば、いくらでもあるように思う。この街には寺院が数多くあるし、博物館もある。動物園や植物園、大きな公園に大河もある。確かにこの街には一般的な見所として大抵のものはそろっているのだが、それが本当に見るべき価値のあるスポットなのかと問われると、何とも言えないところだ。

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パーク・ストリートに近いだけあって、高級感のある集合住宅が建ち並んでいる。

コルカタには、見所としてのスポットは数多く存在していても、必見と言えるような特別なスポットは意外と少ない。他のインドの都市では、インドの首都デリーには “ラール・キラー” や “ジャマー・マスジット” があるし、アーグラーにはインド最高の建築物 “タージ・マハル” がある。ヴァラナシには “ガンガー” という、神格化された大河が流れているし、小さな田舎町ではあるが、ブッダ・ガヤーには “マハーボディ寺院” がある。コルカタに、それに匹敵するものがあるかというのであれば、それほどの大規模な観光スポットはないと答えざるを得ない。

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道の中央にはトラム(路面電車)の線路が。

コルカタを観光するに当たり、ガイドブック “地球の歩き方” を見ると、あの “マザー・テレサ”(Mother Teresa)の活動拠点、“マザー・ハウス”(Motherhouse)が目につく。おそらくマザー・テレサの名前を聞いたことがない人は少ないのではないだろうか。

マザー・テレサ(1910~1997年)は生前、街に広がる貧困にショックを受け、コルカタを拠点に「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」ことを目的に、“神と愛の宣教者会”(Missionaries of Charity)という修道会を設立し、生涯自己犠牲に生きたとされる女性だ。その活動が世界的に認められ、ノーベル平和賞をはじめ、数々の賞を授与されている。

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一歩路地裏に踏み入れてみる。ここだけ見ても、これまでのインドの街とは異質だ。

そのマザー・テレサが設立した団体が活動する拠点がマザー・ハウスなのだが、実は今回の記事で紹介している “AJC Bose Rd.” 沿いにある。この団体は、人々の命を救うことを主眼としているわけではなく、死を待つ人々にわずかでも愛を注ぐことを目的にしている

しかし、ヒンドゥ教徒が圧倒的大多数を占めるコルカタでは、カトリック教徒であるマザー・テレサの活動を必ずしも良しとしない向きもあるようだ。また、活動が最低限の医学知識に基づいて行われているのか、あるいは、マザー・テレサがカトリック的な避妊断固反対の立場をとったことは、エイズや肝炎が急増しているコルカタにおいて、果たして正しいことなのだろうかという医学的見地での批判の声もあるようだ。(lonely planet から抜粋)

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山積みになったソフトドリンクのビン。自販機などはもちろんなく、ビンが主流なのである。

マザーハウスは、ボランティアで活動に参加ができるよう解放されているのだが、正直に告白すると、当初僕は、旅行者が観光半分でボランティアに参加するというのはどうなのだろうかという疑問を持っていた。同時にそれをあたかも観光スポットの1つであるかのように誌面に掲載するガイドブック側の表現の仕方にも少々理解に苦しむところがあった。

もし、本当に救われない、死を待つだけの人々の介護をしたいというのであれば、最初からボランティアを主目的としてこの地にやってくるべきではないのか、そう思っていた。観光の片手間にそういう活動をするということに、どこか違和感を感じていたのだ。

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街角の井戸から水を汲む子供達。がんばって汲むんだ!

しかし、マザーハウスのボランティア活動についていろいろ見聞きしているうちに、たとえ旅行中の一時なのだとしても、世界にはそういった恵まれない人々がいるということを知り、接する機会が得られるということは決して無駄なことではないのではないかと考えるようになった。また、ボランティア同士でコミュニケーションを図れる場でもあり、様々な情報交換ができるので、長い目で見れば、きっと貴重な経験になるに違いないと今では思っている。

ちなみに、今回紹介した “Missionaries of Charity” はデリーにも支店が2つあり、そちらでもボランティアに参加することができる他、インドでのボランティア活動を望むのであれば、マザーハウスに限らず、数え切れないほどの数のボランティア団体があり、コルカタにも数多く存在している。それぞれ期間などの制限はあるが、いずれもボランティアは歓迎されている。

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コルカタって、こんな素朴な風景の街なんです。

もうひとつ、コルカタのスポットで気になったスポットがある。“カーリー寺院”(Kali Temple)という、ヒンドゥ教の女神カーリーを祀った寺院だ。コルカタのヒンドゥ教徒にとっては重要な聖地ではあるのだが、ここではカーリーに捧げるヤギの首切りの儀式が行われている。恐いもの見たさで訪れる見物客もいるのだろうが、僕はどうしても足が向かなかった。

ヤギはともかく、牛肉も、豚肉も、鶏肉も日常的に食べている僕ではあるし、食べている以上、それらの動物たちは常に捕食されている現実があるのだけど、わざわざ足を運んで目の前で首を切られるヤギの見せ物は見たくない。とても矛盾しているとは思うのだけど。

そんなかんじで結構観光スポットにも好き嫌いがあったりします。




2011'01'11(Tue)08:46 [ コルカタ ] CM2. TB1 . TOP ▲