見上げれば、そのすべては自由なのだから  GOLD EXPERIENCE: 世界を旅する黄金体験
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ブッダ・ガヤーの安宿と少年
午前中、どこか良さそうな安宿はないかと探しながら “ブッダ・ガヤー”(Buddha Gaya)の町を歩いていた。ブッダ・ガヤーには比較的短期の滞在予定だったので、宿泊料金よりは環境重視(安宿の中でだが・・・)かなと考えていたのだが、これといって気に入った宿が無く、あまり期待せずに前日に宿泊したホテル・エンバシーの脇道を奥へと歩いてみた。

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ラクシュミー・ゲストハウスの外観。大きくはないが小綺麗なミニホテルといった印象。

細い脇道を突き当たりまで進むと、“ラクシュミー・ゲストハウス”(Laxmi G.H.)という、ちょっと小綺麗な宿を見つけたので空き部屋はあるかと聞いてみた。まだ午前中だったせいか、かなり空き部屋はあるようで、オーナーの男性に最初に案内してもらった窓のないシングル・ルームは気に入らないと言うと、広いデラックス・ルームを同じ値段でいいと言うので部屋を見せてもらった。デラックスと言うだけあり、広くてなかなか快適そうな部屋だった。

1人なのでベッドは1つしか使わないが、部屋にはベッドが2つある角部屋で、これまで宿泊した安宿の部屋に比べれば格段に環境がいい。宿泊料金は400ルピーで、最安値のゲストハウスほどではないが、まずまずといったところか。結局部屋が気に入り、泊まることにした。

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ラクシュミー・ゲストハウス近くの、現地の人たちの居住地区。

いくつかのホテルで空き部屋を聞いて歩いたが、ブッダ・ガヤーには宿泊施設がひしめき合っているので、シーズンによっては交渉により宿泊料金をかなり安くできるような気がする。特に中心地区から若干離れた路地裏の宿は、交渉の余地があるように思う。

ラクシュミー・ゲストハウスの近隣には現地の人たちの居住地区があって、通りを往来しながら現地の人々の生活風景を見ることができた。彼等の生活風景には貧しさを感じる一面もあるが、目の前の空き地で子供達が元気に遊んでいたりと、健全さも感じた。

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ブッダ・ガヤーの何気ない通りの風景。表面上はまずまず清潔感がある。

さて、新たに宿泊先も決まり、ホテル・エンバシーに置いてある荷物をラクシュミー・ゲストハウスへと運んでいると、道端に2人の少年が座り込んでいた。そのうちの1人は、僕の姿を見つけると、さもなにか楽しい発見をしたかのように僕のところにやって来た。

やあ、何をやってるの?」と少年が話しかけてくる。「ホテルに荷物を運んでいるところさ」と僕。こういう場合、大抵はお金か何かを欲しがるに違いないと思い、最初はあまり取り合うことなくゲストハウスへの道を淡々と歩いていたのだが、少年はピッタリと僕の横に付いてきて、「マハーボディ寺院はもう行った?」「じゃあセーナー村は?」などと、いろいろ興味深げに質問してくる。適当に少年の質問に答えながらゲストハウスの入口に到着し、「ごめん、この荷物を部屋に置いてこなくちゃいけないんだ」と言ってその場は別れた。

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ゲストハウス前の空き地で野球をする若者たち。

荷物を部屋に置き、遅めの昼食を食べようとホテルから出ると、先ほどの少年がいた。僕に気が付くとすぐにそばに寄ってきた。僕が「やあ、また会ったね、この辺に住んでいるのかい?」と聞くと、少年は「僕の家はデリーにあって、従兄弟の家を訪ねてきたんだ」と言う。

そう聞いて改めて彼を見ると、年の頃は10歳くらいだろうか、ハーフパンツにシャツという出で立ちで、明らかに貧困層の服装ではなく、裕福な家の子供という雰囲気があった。

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居住地区には山羊の姿も。現地の人たちの生活が垣間見える。

少年は「僕の従兄弟はここに住んでいるんだ」と言って指差したのは、ラクシュミー・ゲストハウスのすぐ目の前にある、あの居住地区だった。貧しさの漂う居住地区の雰囲気と、彼のお坊ちゃま風の服装とにかなりのギャップがあったが、そう聞いてなるほどと納得した。

彼は従兄弟と2人で退屈しているところに外国人旅行者である僕を見つけ、コミュニケーションを取ることで英語のスキルを上達させようとしていたのではないだろうか。

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通りを往来する馬車。他にも野良牛の姿もチラホラと見かけた。

特に下心があるわけではないのだと分かり、そのデリーの少年とはすっかり仲良くなってしまった。僕が宿泊していたラクシュミー・ゲストハウスの目と鼻の先にある居住地区が彼の滞在先だったため、ホテルから外出する度に彼と出会い、2人で話しながら歩いた。

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ラクシュミー・ゲストハウスの部屋から眺めた日没の様子。

よく日本人が英語をしゃべれないのはなぜか?という話を聞くが、彼とコミュニケーションをしていてその答えがなんとなく分かったような気がした。まだ少年でありながらも、積極的に英語を学ぼうとする姿勢があり、外国人を見つけては話しかけて、英語でコミュニケーションを取る彼を見ていると、英語が上達するのは当然のことだと思った。

そして、そのバックグラウンドには、英語の重要性を幼い頃から感じられるインド社会があり、また実際に英語が必要とされる場面が非常に多いというのも、彼等の英語に対する意欲を後押ししているように思う。言葉というのは不思議なもので、日常的に話さないとなかなか覚えない。それ故に、日本人が今以上に英語を話せるようになるには、高等教育だけでなく、積極的に英語を話そうとする姿勢と、英語を必要とする環境が重要なんだなとしみじみ感じた。


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2010'09'30(Thu)13:43 [ ブッダ・ガヤー ] CM0. TB0 . TOP ▲
ブッダ・ガヤーの朝市
北インドには、インドの玄関口である首都デリーをはじめ、タージ・マハルのあるアーグラー、ガンガーの流れる聖地ヴァラナシなど、インドの文化遺産が凝縮している。インドを訪れる多くの旅人はこのゴールデンルートを行くが、ヴァラナシから陸路で北上し、ネパール国境(ルートは複数あるが、スノウリからが一般的)を越えるルートを選択する人も少なくない。

それ故に、ヴァラナシから東方に位置するブッダ・ガヤーや、そこからさらに南東に位置するコルカタを訪れる人は、デリー、アーグラー、ヴァラナシなどの都市と比べると格段に少ない。特にブッダ・ガヤーは田舎町で交通のアクセスがあまり良くない上、治安に深刻な問題を抱えているため、立ち寄るのを避ける旅行者は多いのではないだろうか。

そういった様々な事情のあるブッダ・ガヤーではあるが、田舎町であるからこその独特の景観や価値観があって、良くも悪くもとても印象に残った場所だった。

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町の中心である、マハーボディ寺院前の広場にはたくさんの露店が軒を連ねている。

残念ながら早朝から活動することはできなかったが、その分ぐっすり眠れたおかげで長旅の疲れも回復し、気分新たにブッダ・ガヤーの町を散策することにした。僕が宿泊した “ホテル・エンバシー”(Hotel Embassy)は、中心地区からやや離れた街道沿いにあるのだが、町の規模はそれほど大きくはないので、すぐに中心地区にたどり着くことができた。

ブッダ・ガヤーは、その昔ブッダが菩提樹の下で瞑想し、悟りを得たと言われる場所で、仏教徒にとっては最高の聖地となっている。特筆すべきは、ブッダが瞑想したという菩提樹が今も存在しているという事だ。ブッダ・ガヤーの町の中心には “マハーボディ寺院”(Mahabodhi Temple)という寺院があり、そこにその菩提樹が奉られている。マハーボディ寺院こそ、このブッダ・ガヤーの中枢で、この寺院を中心に町は発展していると言っても過言ではない。

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ここがマハーボディ寺院の入口。(左)塀の奥に見えるマハーボディ寺院の本殿の尖塔。(右)

マハーボディ寺院入口前の広場には、ブッダに関連する様々な土産物屋が軒を連ね、仏教を彷彿させるミュージックが流れている。ミュージックはCDを売る露店が宣伝のために流しているのだが、これがなかなかムーディーで、独特の雰囲気を醸していた。

寺院を囲む塀の奥には、マハーボディ寺院象徴である尖塔がチラリと見えていて、バックミュージックと相まって、ブッダ・ガヤーにいるんだなと実感できた。町にはたくさんの仏僧姿の人たちが歩いているので、そんなところもブッダ・ガヤーならではといったところだろうか。

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朝のブッダ・ガヤーは、バザーで賑わっていた。

広場を過ぎるとちょっとした朝市をやっていた。こちらは現地の人たちで賑わっていた。インドの最貧地区とは言っても、ここブッダ・ガヤーでは貧しい現実は息を潜め、町には清潔感があり、穏やかな空気が流れていた。特に日中は治安も良好で、町の中心地区とその界隈を歩くのであれば、治安についてはそれほど気にする必要はないだろうと思う。

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現地の人たちでいっぱいの朝市の様子。インドらしい風景だ。

色とりどりの野菜やフルーツがズラリと並べられている様はいつものインドらしい風景だ。町を歩いていると、やや年配の白人女性に、「あなた、昨日鉄道駅で見かけたわよ!」と声をかけられた。どう答えて良いやら返答に困ってしまったが、同じ旅行者を見かけたらついつい気軽に話しかけてしまうくらい穏やかな空気が流れているということなのかもしれない。

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バングルを売る露店で、真剣にバングルを選ぶ女性たち。

バザーを見ていて特に気になったのは、なんといってもバングル屋。行きの乗合リクシャーでも腕にバングルをたくさん付けた若いインド人女性を見かけたが、バングルを売っている露店の周りには、老若問わずインド人女性が集まっていた。

もっともインドの都市部を散策している時にはそういった傾向は見受けられなかったので、この地域ならではのトレンドなのかもしれないが、真剣な眼差しでバングルを選ぶ姿が印象的だった。バングルだけでなく、ブッダガヤーの露店には女性向けのアクセサリーの類を扱う店が多く、時折白人女性がアクセサリーを選んでいるのを見かけた。

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宿泊施設の裏側にある大きなグラウンド。(左)空き地には豚がたくさんいた。(右)

さて、バザーで賑わう中心地区を離れて、やや郊外に足を伸ばしてみると、大きなグラウンドがあった。日中は暑いのであまり人はいなかったが、夕方再度訪れてみると、子供たちがスポーツを楽しむ姿が見れた。こんなところは現代の日本の子供より健康的な気もする。まぁ日本の特に都心部は身近にこういった遊び場が少ないのもあるから仕方ないけど。

近くの空き地にはゴミが大量に捨てられていたが、豚が放し飼いになっていた。豚がゴミを食べるからなのか、ブッダ・ガヤーではゴミ捨て場の空き地に豚がいるのをよく見かけた。

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町の中心部から少し離れると、何もなかったりする。

さらに郊外へと歩いて行くと、周囲には建物の姿すら見かけなくなってしまう。周囲には街灯がほとんどないので、夜になると人気のない暗闇になり、危険だろうと思う。もっともこんなところを夜出歩くことはまずないだろうとは思うが、ブッダ・ガヤーの町から少しでも離れると、このような未開の地域が広がっているので、危険が隣接しているとも言える。

さて、昨晩は到着したのが夜だったため、とりあえずの宿に宿泊したが、もう少しいい宿はないものだろうか。数軒の宿をチェックしながら、一旦ホテルに戻ることにした。


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2010'09'28(Tue)17:34 [ ブッダ・ガヤー ] CM0. TB0 . TOP ▲
ブッダ・ガヤーで目覚めた朝
ガヤーの鉄道駅からリクシャーを乗り継ぎ “ブッダ・ガヤー”(Buddha Gaya)に到着した頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。しかし、僕はまだ宿泊する宿を決めていなかった。

鉄道が7時間も遅れなければ今頃はまだ明るい時間帯で、ゆっくり宿探しができたのだろうが、そうも言ってはいられない。街灯の少ない、見知らぬ田舎町の道端に佇んでいた。とはいえブッダ・ガヤーは小さな町で、ガイドブックの地図上で見てもそれほど広くはない。僕は暗がりの中、予めガイドブックで選んでおいたいくつかのホテルを探し歩くことにした。

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朝目を覚ますと、眼下にはのどかな田舎町の風景が広がっていた。

ブッダ・ガヤーには途中のガヤー界隈に漂っていたあのピリピリした感覚はなく、夜とはいえ表通りを歩いている分には比較的治安は安定しているように感じた。

安宿を2、3件当たってみたのだが、1000ルピー以上もする高い部屋しか空いていなかったり、ガイドブックに記載されている料金よりずっと高かったりで、なかなか手頃な宿が見つからなかった。「今日はもう夜遅いし妥協するしかないか・・・」お腹も空いていたし、とにかく休息したかったので、あまり高望みをせず街道沿いの適当なホテルに宿泊することにした。

結局僕が宿泊したのは、“ホテル・エンバシー”(Hotel Embassy)という名前のホテルで、エントランスから中に入ると仏僧姿のチベット人団体客で混み合っていた。年配の巡礼者風の人たちが大半で、ホテルというよりは病院のような雰囲気だった。

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別の角度から。田舎町で、高層の建物はほとんどなく、付近には大きな川が流れていた。

ホテルの従業員に案内された上階の部屋は4階まで階段で上がる必要があり、重たいバックパックを背負っての上り下りは一苦労だった。部屋は角部屋で、とりたてて特徴のない部屋だったが、なんといっても久しぶりの休息なのだから贅沢は言えない。

僕はおもむろに部屋のドアを閉めると、さっそくいつもの儀式をはじめることにした。バックパックからアーグラーで購入したインド製の蚊取り線香を取り出すと、マッチで火を付けた。どうやらかなりの数のバンパイアが潜んでいるようで、しばらくは安心できない。

ここもやらなきゃなと思い狭いシャワールームのドアを開けると、どこから進入したのか壁面にひっついた2、30㎝はあるでっかいトカゲと目が合ってしまった。トカゲはササッと配管の陰に隠れてしまった。それにしてもインド製の蚊取り線香の煙の匂いはどうも好きになれない。その前に使っていたタイ製のは良かったな~と思いながら、食事を食べに行くことにした。

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後日通りかかった際に撮影したホテル・エンバシー。(左)人で賑わうブッダ・ガヤーの繁華街。(右)

明け方、仏教のお経を唱える声が窓の外に鳴り響き、目を覚ました。重い体を起こして窓の外を眺めると、巡礼者たちの列が、寺院の方角に歩いているのが見えた。しかし、その魅惑の風景を見たいという意志に反して僕の意識は遠のいて、再び深い眠りへと誘われた。

朝目を覚ますと、すっかり太陽は上に昇り、真っ青な空が広がっていた。眼下を見下ろすと、街灯のない夜の風景とは全く異なる、のどかな田舎町がそこに広がっていた。たっぷり睡眠をとったせいか、体力はすっかり回復していた。「よし、さっそくブッダ・ガヤーの町を散策してみよう!」僕は勢いよくホテルのエントランスの扉を開け、外に出た。

朝のすがすがしい空気が僕の体に充満した。今日も元気にいけそうだ。


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2010'09'26(Sun)23:18 [ ブッダ・ガヤー ] CM0. TB0 . TOP ▲
極貧の聖地へ
仏教の聖地として名高い “ブッダ・ガヤー”(Buddha Gaya)のある “ビハール州”(Bihār)は、インドで最も貧しい地域と言われている。また、教育水準の低さも問題となっている。

貧困が原因なのか、あるいは教育に問題があるのか、その理由は定かではないが、この地域の治安状態は劣悪で、腐敗した役人が横行し、カースト間の対立、誘拐や強奪、山賊行為、過激派の暴動などが頻発する、犯罪多発地域・無法地帯として悪名高い。

特に鉄道駅のあるガヤーからブッダ・ガヤーの区間でトラブルが発生するケースが多く、僕が訪れた2010年3月下旬の直後にも、日本人女性が暴行の被害に遭うという事件が発生している。事件は20代の日本人女性が夜8:00pm頃、オートリクシャーでブッダ・ガヤーからガヤー駅に向かう途中、ドライバーを含む5人の男に襲われたというもので、暴行された後、財布なども奪われたという。ブッダガヤーで日本人女性の強姦事件はこれが2度目だそうで、2007年には数日間にわたって監禁され、暴行を受ける事件が起きているという。参考URL: NNA.ASIA indian express

僕はブッダ・ガヤーを訪れる前に、この地域が治安的に問題があり、外国人旅行者を狙った凶悪な事件が頻発しているということを知っていたので、鉄道でガヤー駅に到着するのをできるだけ日中まだ明るい時間帯にしようと考えていたのだが、鉄道が7時間も遅れたことにより本来の予定が大幅にずれ、ガヤー駅に到着したのはすっかり夕暮れ時になっていた。

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ガヤー駅からサイクルリクシャーで乗合リクシャー乗り場へ。

ガヤー駅からブッダ・ガヤーは距離にして16㎞ほど。ガヤーの鉄道駅に到着したら、まずは駅前のサイクルリクシャーで2㎞ほど先にある乗合オートリクシャー乗り場へと向かい、そこから乗合オートリクシャーでブッダ・ガヤーの町へと向かう。駅から直接ブッダ・ガヤーの町へ向かうこともできるが、乗り継ぐのに比べ、運賃は相当高くつく。いずれにしても夜の移動は避けた方が賢明だが、治安的な視点で見ても乗合リクシャーを利用した方が安全ではある。

ある程度治安が悪いことを意識してガヤー駅の構内から外に出たのだが、意外にもリクシャーのドライバーたちに囲まれてしつこく勧誘されるようなことはなく、すぐ近くにいたサイクルリクシャーのドライバーに「10ルピーでKacheri Autorickshaw Standまで行ってくれないか?」と声をかけたら、ドライバーは無言で頷きすぐに出発した。

リクシャーに揺られながら、ガヤーの町の風景を見る。インドの中でも最貧地区と言われるガヤー周辺のエリアだが、道は舗装こそされてはいないものの、そこそこ人通りはあって町らしい佇まいだった。しかし、随所に荒れ果てた部分が垣間見られ、どことなくピリピリとした雰囲気が漂っていた。少なくともこれまで見たインドの都市とは随分勝手が違っていた。

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Kacheri Autorickshaw Standの乗合リクシャー乗り場。ここからブッダ・ガヤーへと向かう。

しばらくして、僕の乗ったサイクルリクシャーは “Kacheri Autorickshaw Stand” の乗合リクシャー乗り場に到着した。そこは、通常のオートリクシャーの客が座るスペースの幅(車幅)を広げて、やや大型化した乗合リクシャーがズラリと並んでおり、ブッダ・ガヤーへと向かう人々を次から次へと乗せている、どこか殺伐とした雰囲気だった。

サイクルリクシャーのドライバーに10ルピーを渡し、さっそく乗合リクシャーが並んでいる場所に近づいてみた。するとすごい勢いでリクシャーのドライバーたちが客の取り合いをはじめた。僕が外国人であることが分かると、「ボード・ガヤー(ブッダ・ガヤー)まで120ルピーだ」などとふっかけてくるので、「高すぎる、そんなに払えるはずがない」と言うと、「じゃあ100だ」「こっちは80だ」と様々なドライバーから声がかかった。そもそもせいぜい30ルピーくらいのイメージでいたのでどうしようかなと躊躇していたら、ほぼ満席に近い出発直前のリクシャーのドライバーが「30だ!」と一声かけてくれたので、OKと言って飛び乗った。

乗り込んだ乗合リクシャーはすでに満席で、僕は後部の荷台にはみ出すような、ほぼ半立ち状態で乗り込むことになった。どうやら1回の移動で可能な限りの客を乗せるために、限界まで乗せているようだ。少なくとも10人以上は乗っていたのではないだろうか。ブッダ・ガヤーに向けて発車したのはいいが、リクシャーから落ちて路面に投げ出されないよう必死でつかまった。

目の前の荷台部分にはインド人の老女と若いインド人女性が乗っていて、2人共サリーを着用し、若い女性は腕にたくさんのバングルを付けていた。振り落とされないよう夢中で荷台のバーにしがみつく僕の視界に入っていたのは、時折光が当たりキラリと輝くバングルと、夕暮れ時の柔らかい太陽の光、そしてガタボコとした路面に巻き上がる砂埃だけだった。


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2010'09'24(Fri)22:44 [ ブッダ・ガヤー ] CM0. TB0 . TOP ▲
肝っ玉お母さん登場!
結局 “ガヤー”(Gaya)行きの便は7時間以上遅れて到着した。早朝5:40amに出発予定だった便がヴァラナシ駅に到着した頃には、すっかりお昼を回っていた。

アーグラーからヴァラナシへと向かうときにも同様に7時間遅れだったので、ある程度は想定内ではあったのだが、鉄道の到着時刻がはっきりとしない状態で、しかもたいした施設のないインドの鉄道駅の構内で過ごす7時間は、途方もなく長く感じた。

こんな時には話し相手でもいればいいのだが、あいにくの一人旅だった。それにしても、これほど遅れることが事前に分かっていたら、何も深夜に割高のリクシャー代を支払って、あくせくと駅に向かう必要はなかったなとつくづく思った。

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ガヤー行きの鉄道は7時間遅れ。インドではこれが通常なのか!?

さて、遅れに遅れようやく到着したガヤー行きの便に乗り込んだ。僕の座席は “3A”(3等寝台)というクラス。前回利用した “2A”(2等寝台)に比べると寝台が3段になっていて、同様にエアコンが付いた車両だ。目的地のガヤーまでは直線距離で約220㎞。順調に走ればものの数時間で到着する距離だ。しばらくの間、寝台のベッドで横になっていればすぐだろう。

僕はチケットのシートNo.を確認しながら自分の席を探した。あったここだ、“LB”(Lower Bench)と呼ばれる、寝台ベッドの一番下の席。しかし、本来僕の席であるはずのその場所には、10代の女の子が座っていた。よく見ると、対面の席には恰幅の良い彼女の母親らしき女性がデーンと横たわっており、その上の寝台ベッドには彼女の子供なのだろうか、僕の席に座っている女の子よりもっと年下の女の子が3人とまだ5、6歳くらいの幼い男の子が、まるでジャングルジムのごとくベッド脇に付いているハシゴをよじ登って、はしゃいでいた。

僕はやや控えめな口調で、「あー、ゴメン、ここはたぶん僕の席なんだけど・・・」とそこに座っている女の子に言うと、女の子は席を立とうとしたのだが、それを制するように対面に横になっている彼女の母親が、ヒンディで 「大丈夫だからそこにいなさい」 らしき言葉(たぶん)を放った。女の子はうなずくと、僕の席にそのまま座り続けた。

女の子は年の頃14、5歳といったところだろうか、恰幅の良い母親とは対照的に細身で利発そうな顔立ちだ。いまや僕の席の半分は彼女に占有されていた。対面で彼女の母親は堂々と横になり、その上のベッドでは、ハシゴをよじ登っては飛び降りるダイビング大会が催されていた。つい溜め息が出そうになったが、たまにはそんな子供達の遊ぶ様子を見るのも面白いかなと思うことにした。しかし、せっかくの寝台なのに横になれないのはつらい。

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終始お祭り騒ぎで写真を撮るのをすっかり忘れてしまった。やれやれ・・・。

子供達の体力は尽きないもので、終始お祭り騒ぎだった。その中の一番下の男の子は、女の子ばかりの中でようやく生まれた跡継ぎのような存在だからだろうか、あたかも王子様のような特別な扱いだった。隣に座っている長女の女の子は他の子供達が騒ぐ中、外国人がよほど珍しいのかほとんど僕の隣から離れなかった。時折僕が彼女の母親と話すのを見守っていた。

そのうち遅めの昼食がはじまった。母親と長女で持ってきた弁当を開いて、手際よくプラスティックの容器に盛りつけていった。メインはカレーとチャパティ、それにダール(豆スープ)なのだが、なかなかおいしそうだ。皆それをナイフ、フォークなどを一切使わずに直接手で食べている。隣で長女が食べる様子を見つめていたが、さすがに食べ慣れているだけあって、片手でチャパティをちぎり、カレーに付ける様はスピーディーで実に手慣れていた。

ガヤーまでの数時間は賑やかに過ごすことができた。ガヤーに到着する頃には、目の前に座っている母親と、隣に座っている長女とは随分打ち解けていた。相変わらず上階の子供達は飛び跳ねていたが・・・。しかし、本来は自分の席のはずなのに、母親のペースで仕方ないから端っこのスペースに座らせてあげる的な雰囲気になっていたのは不思議なものだ。

それでも僕がガヤーの駅で降りるということを言ったら、次の駅がガヤーだと教えてくれた(残念ながら間違っていたが)し、途中、足を伸ばしてリラックスしていいよと僕に気を遣ってくれる場面(ホントは僕の席なんだが)もあった。打ち解ければ気立ては良さそうだ。それまでインドの女性はシャイという印象が強かったが、中にはこんな女性もいるんだなと思った。

ガヤーの駅に到着すると、僕は母親と長女に別れの挨拶をして、車両を後にした。


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2010'09'23(Thu)17:15 [ ブッダ・ガヤー ] CM0. TB0 . TOP ▲