見上げれば、そのすべては自由なのだから  GOLD EXPERIENCE: 世界を旅する黄金体験
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コルカタの今
コルカタ”(Kolkata)は、非常に興味深い街だ。数あるインドの都市の中でも、この街には特別な何かがある。この街をあえて言葉で表現するのであれば、「最もインドらしい街であり、最もインドらしくない街でもある」というところだろうか。コルカタがどのような街であるかを知るためには、まずはインドの歴史を紐解く必要がありそうだ。

今回は、インド・コルカタの “” を知ってもらうために、コルカタの “過去”・・・即ちコルカタの歴史について触れたいと思う。どのような流れで現在のコルカタがあるのかを理解すれば、これから紹介していくコルカタの街が、より面白くなるに違いない。

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コルカタの市街はがっしりとした高さのある建築物が多い。

おそらくコルカタという呼び名より、“カルカッタ”(Calcutta)と呼んだ方が耳に覚えのある人が多いのではないだろうか。それもそのはずで、つい最近まで英語化されたカルカッタと言う呼称で呼ばれていたのだが、2001年に、インド政府はそれまでのカルカッタという呼称から、ベンガル語の呼称であるコルカタに正式改名したという経緯がある。だから、コルカタという呼称で呼ばれるようになって、まだ10年あまりしか経っていないということになる。

現在ムンバイ、デリー、ベンガルールに次いで、インド第4の都市と言われるコルカタ。10年に1度行われる、人口調査の結果(2001年が最新なので、現在ではかなりの変化があるかもしれない)によると、人口ではムンバイに次いでインド第2位の大都市となっている。

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目抜き通りのチョウリンギー通り。どこもかしこも黄色いタクシーで一杯。

コルカタの歴史は、そのままインドの歴史でもある。イギリス植民地時代、コルカタはインド植民地化の拠点として政治的中心を担っていた。1877年にイギリス領インド帝国が成立すると、コルカタはその首都となった。しかし、1905年のベンガル分割令を機に、インド独立運動が激化し、1911年、イギリスは事態を沈静化するため、トラブルの少ないデリーへと首都を移した。その後、1947年にインドが独立した際、コルカタは西ベンガル州の州都とされた。

つまり、元々コルカタは英領インド時代の首都であり、インド独立運動の影響を受けてデリーへと遷都されたわけで、現在のインド文化がイギリスの統治下であった時代に大きく影響を受けたとするのであれば、コルカタは近代インドの文化発祥の地とも言えるのではないだろうか。

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ターナー・リクシャーは、梶棒を引いて走る人力車。

話は変わるが、他の都市であれだけ街を行き交っていたリクシャーに代わって、コルカタの至る所を走る大量の黄色い “アンバサダー・タクシー”。リクシャーにまつわるこんな話がある。コルカタのある西ベンガル州の政府は、“ターナー・リクシャー”(いわゆる人力車)の全面禁止を検討しているのだという。コルカタでは、1997年にターナー・リクシャーの新規のライセンス交付をストップしたため、近い将来、コルカタからリクシャーは消えていく運命にある。

その結果、リクシャー・ワーラーは仕事を失い、収入を失うことにはなるが、そこには、雨季のシーズンに冠水した非衛生的な道路の中を、人が乗ったリクシャーを裸足の人間に引かせることが、果たして道徳上どうなのかという問題がある。いずれにせよそういった理由により、コルカタではリクシャーからタクシーへとその移動手段が移っているのが現状だ。

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派手なペイントが施されたコルカタのバスは、いつも超満員。

さて、かつてカルカッタ(コルカタ)は「世界一汚い街」などと呼ばれていた。呼称がコルカタとなった現在でも貧困のイメージは根強く残っているが、これには事情がある。イギリスの植民地から独立したインドだが、国内のヒンドゥー教徒とイスラム教徒の争いが収拾されず、1947年、イスラム教国家であるパキスタンと分離独立となった。結果、インドを東西から挟む形でパキスタンが誕生した。後に東のパキスタンはバングラディッシュとして独立した。

このインド・パキスタンの分離独立は当時のカルカッタに甚大な影響を及ぼした。東ベンガルから約400万人のヒンドゥ難民が流れ込み、すでに過密状態だったカルカッタは、窒息状態に追い込まれた。人々が空腹のために路上で息絶えていた時期もあり、それがカルカッタに貧困のイメージを強く印象づけた要因となったというのだ。さらに、この時の難民が街に馴染んだ直後の1971年のインド・パキスタン戦争による第二の難民が押し寄せた。(lonely planetから抜粋)

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下町情緒溢れる街並みだが、清潔感がある。(左)フルーツ屋で扱うフルーツの種類も豊富だ。(右)

こうやってコルカタの歴史を紐解いてみると、この街が他のインドの都市と違う、様々な疑問が解き明かされる。かつてコルカタはイギリス支配の中央として栄え、ロンドンのミニチュアとも言える街作りが行われた。それ故にこの街の建築物はどこか西欧的な雰囲気を漂わせている。また、リクシャーの代わりに縦横無尽に走る黄色いアンバサダー・タクシーは、リクシャーを廃止しようとする西ベンガル州の政府の政策の影響によるものだろう。

そして、長らくコルカタにつきまとった貧困のイメージは、インド・パキスタンの分離独立やインド・パキスタン戦争による大量の難民の流入によるもので、当時は路上で飢餓による死者が出るなど絶望的な状態であったが、現在のコルカタは随分改善されている。

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井戸から水を汲む少年。こんな素朴な風景もまだある。

そんなコルカタの歴史を考えながら、コルカタの街を散策してみる。かつては英領インド時代の首都であり、イギリスの影響を最も強く受けた街。この街の住民から、どこか都会的な気質を感じるのはそのせいなのかもしれない。現在のインドの首都はデリーなのだが、コルカタの住民はデリー以上にどこか洗練された気品のようなものを持っているのだ。都会的で清潔な街並みと、豊かな食文化。そして、その風景とは裏腹に、治安もすこぶる良い。

コルカタの街を知るにつれて、いつのまにかすっかり魅了されてしまっていた。
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2010'12'11(Sat)11:50 [ コルカタ ] CM0. TB0 . TOP ▲
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